□投稿者/ pipit -(2023/04/18(Tue) 18:29:15)
| 時さん、こんばんは! 返信ありがとうございますo(^▽^)o
■No30304 > 率直な疑問なのですが、pipitさんご自身は、もしも自由意思で選択が可能ならば、苦の滅尽を目指す仏教(出世間)か、理性的に自由に生きることを選択できるとするカント哲学(世間)か、どちらを選ばれますか?それとも知識として両者を得られたいのでしょうか。もちろん、どの選択でも良い悪いというのではありません。^^<
私自身は釈尊の教えに触れた者として、苦の滅尽を目指しています。が、今世ではとても無理そうと思っており、やらないよりはマシ、と、いい加減な実践しております(逃)
> 今回、カントの自由と解脱の自由との概念の違いがよく分かりました。ご説明、ご回答をありがとうございました。<
微妙なんですけど、傾向性無くせるなら無くす方が良いに決まってる、みたいなカントの文章は読んだ記憶があります。(「道徳形而上学の基礎づけ」という著書に出てきたかと思ってます。)
わたしがカント哲学の中で好きなところでもあるのですが、特殊な能力を要求しないように感じています。例外を作らない。 本来は、仏教もそうなんでしょうけどね、「やればできる!」と言われても特殊能力ないと無理ポヨと感じてしまいます(^◇^;)
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