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No30304 の記事


■30304 / )  pipitさんへ
□投稿者/ 時 -(2023/04/18(Tue) 17:35:11)
    pipitさんへ。 ご返信をありがとうございます。

    > でも理性を持った人間は、自然ではなく自由(自らの意志により、自らに由来して)行為を始められる。(自然因果から自由へのシフト)
    > そのような論調なのかな?と今の時点ではイメージを持っています。

    了解しました。カントの言う自由とは、自由意思での選択による理性的行為が可能であるという自由ですね。

    > 傾向性を完全に滅することは可能とするのが仏教なら、傾向性は人間には無くせないけど自らの理性により自由に生きるのを目指すのがカントかな?と違いを思っています。

    率直な疑問なのですが、pipitさんご自身は、もしも自由意思で選択が可能ならば、苦の滅尽を目指す仏教(出世間)か、理性的に自由に生きることを選択できるとするカント哲学(世間)か、どちらを選ばれますか?それとも知識として両者を得られたいのでしょうか。もちろん、どの選択でも良い悪いというのではありません。^^

    今回、カントの自由と解脱の自由との概念の違いがよく分かりました。ご説明、ご回答をありがとうございました。
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