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考え変わりましたΣ(・□・;)
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□投稿者/ pipit -(2022/10/01(Sat) 00:25:21)
| ん? すみません、後半のDeepL翻訳読んで、やっぱりおくたがわさんのおっしゃるように
(おくたがわさん) > 続く文脈での、「対象の純粋な思考の規則だけを含み、経験的な内容からなるすべての認識を排除する論理学』が「一般論理学」を指す、とは考えにくのではないか。<
とも思えてきました。
No26745 DeepL翻訳続き 『それはまた、対象に帰することができない限り、対象に関する知識の起源に行き着くだろう。』
↑これ、多分、超越論的◯◯とかのことっぽいですよね... とすると、
No26784 >D純粋な見方と経験的な見方がある以上、対象物に対する純粋な思考と経験的な思考の違いも見出されうるだろう。 Eこの場合、知識の内容をすべて抽象化しない論理が存在することになる。 Fなぜなら、ある対象を純粋に考えるための規則だけを含む論理は、経験的な内容をもつすべての認知を排除することになるからである。<
うーん、DEFが、超越論的論理学について述べてるとしたら、 Eがわからないなぁ。
No26744 (おくたがわさん) >根拠2 『直観に、純粋な直観と経験的な直観の区別があるように』として 思考にも『対象についての純粋な思考と経験的な思考の区別があることになろう』 と導いて、新たな論理学(超越論的論理学)を提示している。 そこでの「純粋」の方に対応するのがアプリオリであったり超越論的だろう。 続く文脈での、「対象の純粋な思考の規則だけを含み、経験的な内容からなるすべての認識を排除する論理学』が「一般論理学」を指す、とは考えにくのではないか。<
はい。pipitも後半も改めて読んで考え直すとそのように思えてきました。
>ただ、カントだから「純粋」を異なる意味で2回使ってしまっている可能性はないとは言えないか。 やはり、一般の論理学が「経験的な内容からなるすべての認識を排除する」わけがない、それをやるのは超越論的論理学、という先に書いた理由が一番かな。<
カントが悪い!と思ってしまいます。(ー ー;) 文章の組み立て方がわかりにくすぎる!!と思うpipitでありました...
とりあえず、先程と考えが変わって、おくたがわさんのおっしゃるように中山先生が間違えられてる可能性もあるかも、と、今の段階のpipitは思いました。 Σ(・□・;)
もう少し考えてみます。勉強になります!
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