TOP HELP 新着記事 ツリー表示 トピック表示 ファイル一覧 検索 過去ログ

No26355 の記事


■26355 / )  Re[5]: 物自体
□投稿者/ おくたがわ -(2022/09/14(Wed) 07:32:58)
    No26339に返信(pipitさんの記事)
    おはようございます! 

    > おくたがわさん、こんにちは!
    > pipitはおくたがわさんのトピできて嬉しいなー
    > よろしくお願いします(*^◯^*)♪

    ありがとうございます。こちらこそよろしくお願いします。

    > 過去投稿で物自体を対象とした認識上の不可知性と、認識システムの存在性についてなどを記述して、山下和也先生の本を引用したものがあったので、投稿させていただきます。

    すごく!面白いです。やはり良い本みたいですね。
     
    > ==========過去投稿↓
    > No20838
    > pipitはいろいろなものを認識してます。
    >
    > @例えば目の前の『本』。
    > このとき、
    >
    > Aどのように『本』と認識したか、を調べるのが『純粋理性批判』だとすると、
    >
    > ------------------------
    >
    > 山下和也先生の言う【二つの視点】とは、
    >
    >
    > @『本』が観察、観察者は『認識システム(理性)』であり、
    >
    > A観察者(認識システム)に現れる観察(認識対象)に至る順路を、観察者自身の内部から追った記述
    >
    > という@Aの視点ということかなと思いました。
    > ------------------------
    >
    > このAの視点についての、山下先生の文章を引用します。
    >
    > 『カントとオートポイエーシス』山下和也先生p38.39より引用
    > 『この視点は、いわば認識システム自身の体感になっている。そして、この視点にはシステム自身のその都度の作動しか把捉されない。システムの構造もシステムの環境も、それどころかシステム自身の全体すら把捉されないのである。
    > システム自身にもシステムそのものは見えないわけで、ルーマンの「システムはそれ自身にとってどこまでも不透明である」(Luhmann 1990: 483)という記述はこれを意味する。
    > さらに、この視点には環境も他のオートポイエーシス・システムも現れてこない。
    > ただしそれにもかかわらず、システムそのものにとっての視点はシステム自身の実在を知っている。
    > なぜなら、この視点の絶対的前提条件はシステムの実在であり、かつ、この視点はまさに実在するシステムそれ自身の視点だからである。システムが実在しないなら、システムそのものにとっての視点も存在しえない。
    > また環境の実在を把捉するのも、この視点である。
    > オートポイエーシスの本性上、環境なくしてシステムは実在しえないのであるから。と言っても、把捉できるのは実在だけで、その具体的なあり方までもわかるわけではない。
    > こうした把捉の仕方は無論、観察ではなく、何かの現れを現す表象の産出とは異なる。
    > それは否定しようのない直接性をもった把捉である。
    > こうした把捉の仕方を「直接知」と名付けてみた(山下二〇一〇:一八三)』
    > 引用終了
    >
    > pipit私見です。
    >
    > カント哲学において、不可知の対象として設定されている【物自体】という概念に、カントはどうして身も蓋もなく確実な実在性を与えているのか、
    >
    > という、なぜ? に対する山下先生の考えが、上記引用部分なのではないのか、と思いました。

    同意です。
    まさに、どのような意味で「不可知」で、しかし、どうして、どのように「知っている(面もある)」のか。を合理的に説明されているように思いました。

    そして下に引用する千葉さんの解釈は、山下さんの「物自体」解釈を含みうる。矛盾しないように思いますが、pipitさんはどう考えられますか?

    『「物自体」とは,「我々の心のうちに(自発性から独立に)感覚が生じる」という過程,あるいはその際の単なる秩序のようなものであるのかもしれないし,』


    > ちなみにpipitがpipitのトピで引用した御子柴先生訳のカントの文章で気になってるのは、
    > No26322
    > 『したがって、悟性は、まさに現象を〔それとして〕認めることによって、物それ自体の現存在をも容認する。
    > そして、その限りで、私たちは次のように言うことができる。
    > 諸現象の根拠として存するような何らかのものの表象、したがって、たんなる悟性体の表象は、たんに認められるのみならず不可避である』
    > の中の
    > 『たんなる悟性体の表象』という言葉。
    > 自信ないのですが、
    > 物自体という対象を悟性だけで表象してる、って意味なのかなぁ、と。

    私にもそのように読むのが全体を解釈しやすいと思われ、
    その場合は、不可知だが知っている、その知り方のほうの説明になりますよね?

    ただ、「悟性体の表象」って表現。。
    悟性による表象とかでなく、その表現は何故? と・・

    > それか、知的直観系???
    > 全く違うかもなんですけど。
    > ちょっと気になってました。

    自分も気になってきました。

    **********

    いずれにしてもやはり、不可知なのに知っている、その知り方を皆さん考えておられるのでしょうね。

    > それでは失礼しまーす(*^▽^*)

    またよろしくお願いします!

返信/引用返信 削除キー/


Mode/  Pass/

TOP HELP 新着記事 ツリー表示 トピック表示 ファイル一覧 検索 過去ログ

- Child Tree -