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■36690 / inTopicNo.13)  呼吸意識の難しさ
  
□投稿者/ knowingitself -(2024/03/02(Sat) 18:34:32)
    人と何を話したか、自分がどういう心の反応をしたか。こういうことは一日たっても覚えていて当然。
    数ヶ月前、数年前のものも覚えていたりする。

    映画やテレビの記憶、風景の記憶。これらも記憶力のある人はいくらでもいる。

    ところが、数秒前の呼吸となると。どうやって再現前させる?
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■36687 / inTopicNo.14)  呼吸と言葉と音楽
□投稿者/ knowingitself -(2024/03/02(Sat) 15:17:19)
    歌うことも、ある意味では呼吸の変形でしょう?

    息を吐くことに感情や思いを込めて歌にしていく。
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■36660 / inTopicNo.15)  彼らの間の密度の濃い対話は再現不能
□投稿者/ knowingitself -(2024/02/26(Mon) 18:51:04)
    >あるレビュアーが、「ラッセルやラムジーが理解できなかったのに、自分が理解できるわけがない」と書いてあるのが目に入りました。それをいっちゃおしまいですが。

    私なりに考えるに、これは彼らが優秀な人間だからというだけじゃない。

    ラッセルやラムジーというのは、ウィトゲンシュタインと口頭で哲学対話をやりまくっていたわけだ。ウィトゲンシュタイン哲学が誕生する生々しい思索の現場に立ち会っていたのがラッセルとラムジーだと。

    もちろん、彼らの口頭の直接対話という一次資料は残っていない。当時のテクノロジーからいってやむをえない。ウィトゲンシュタインの残されている文字テキストは凝縮されすぎていて難解。やはりプラトンじゃないが、哲学にはリアルな口頭の対話が遥かに重要であって、文字は影にすぎないというのは、西洋哲学には根強いだろうね。


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■36602 / inTopicNo.16)  人間の「無知」は構造的な制約
□投稿者/ knowingitself -(2024/02/21(Wed) 16:28:27)
    人間が無知であることは構造的な制約であって、誰一人としてこの制約を免れることはできない。

    人間にあっては、個人で何でも知ってる何でも理解できる万能の知の巨人などありえないと思う。

    天才といわれる人というのは、ここだけは確実に突破できる一点を嗅ぎつけた人であって、それ以外は基本的に無知を自覚できているはず。




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■36597 / inTopicNo.17)  Re[63]: こんばんはー
□投稿者/ flora -(2024/02/20(Tue) 15:36:02)
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■36594 / inTopicNo.18)  こんばんはー
□投稿者/ うましか -(2024/02/19(Mon) 22:18:09)
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■36589 / inTopicNo.19)  ラッセルやラムジーも理解できなかった
□投稿者/ knowingitself -(2024/02/19(Mon) 18:40:39)
    うましかさん、書き込みありがとうございます。

    >あと、数ある『論理哲学論考』の邦訳のひとつに中平浩司訳(ちくま学芸文庫)がありますが、ここにRamseyによる『論考』書評の訳が収められているようです。

    知りませんでした。機会があったら読んでみようと思います。amazonでさっと眺めていたら、あるレビュアーが、「ラッセルやラムジーが理解できなかったのに、自分が理解できるわけがない」と書いてあるのが目に入りました。それをいっちゃおしまいですが。

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■36587 / inTopicNo.20)  Re[61]: Ramseyによる『論考』の書評
□投稿者/ flora -(2024/02/19(Mon) 18:04:49)
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■36580 / inTopicNo.21)  Ramseyによる『論考』の書評(;´・ω・)改
□投稿者/ うましか -(2024/02/18(Sun) 21:53:23)
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■36571 / inTopicNo.22)  Re[59]: ラムジーの最愛の楽章
□投稿者/ flora -(2024/02/18(Sun) 15:46:42)
    No36569に返信(knowingitselfさんの記事)
    おはようございます。

    > >>ウィトゲンシュタインの「哲学探究」では、「序」において、ラムジーとスラッファによるところが多いと記されている。ラムジーとは、彼の人生の最後の二年間、数えきれないほどの会話の中でウィトゲンシュタインの考えについて彼と議論したと。ラムジーは「論理哲学論考」の翻訳者にして批判者だった。

    >>「論理哲学論考」の翻訳者は、(主翻訳者)チャールズ・ケイ・オグデン、とラムジー自身だったと思いますが、ラムジーはオグデンの翻訳のどんなところに批判的だったのでしょうか? よろしくお願いいたします。
    >
    > ラムジーは英語に翻訳されたものに批判的というより、原典としての「論理哲学論考」それ自体がもっている弱点・限界のようなものを指摘したのだと思います。「論理哲学論考」の素晴らしいさは評価した上でしょう。

    翻訳者の一人あり、また「論理哲学論考」の内容に関して批判的だったということですね。

    うましかさんが、その批判内容の英語版と、日本語訳のリンクを貼ってくださったのですが、後で拝見しようと思っているうちに投稿を消されたようです。

    うましかさん> 再度リンクを貼っていただけないでしょうか?^^;
    >
    > 以下、「哲学探究」の「序」からウィトゲンシュタイン本人の文を引用します。訳は鬼界影夫さん。
    >
    > 引用開始
    >
    >
    >
    > というのは、十六年前に再び哲学に関わり始めて以来、あの最初の本に書き記したことの中に私はいくつもの深刻な思い違いを認識せざるを得なかったからだ。私の考えがフランク・ラムジーから経験した批判は、これらの思い違いを自覚する上でーー自分ではその程度が評価できないくらいにーー大きな助けとなった。彼の人生の最後の二年間、数えきれはいほどの会話の中で私の考えについて彼と議論した。
    >
    > 1945年1月 ケンブリッジ 
    >
    > 引用終わり
    >
    > 上記引用のなかの「あの最初の本」とは、「論理哲学論考」です。
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■36570 / inTopicNo.23)  前期と後期のウィトゲンシュタイン
□投稿者/ knowingitself -(2024/02/18(Sun) 14:20:33)
    ラムジーがウィトゲンシュタインに向かってどういう批判をしたのか、私はよく知らない。

    ただ、前期ウィトゲンシュタインと後期ウィトゲンシュタインを分けるものは、ウィトゲンシュタインのテキストを通じで浮かび上がっている。もちろん、それを解読し理解することがメチャクチャ難しいのだが。

    ウィトゲンシュタインは前期で一応哲学に別れを告げて、小学校の教師をしていたわけだ。そこに14歳年下のラムジーが会いに行って、哲学再開へのきっかけを与えたと。
    後期ウィトゲンシュタイン哲学の成立にラムジーは大きな寄与をしたとも言えると。

    もっとも、ウィトゲンシュタインという複雑怪奇な人物にあっては、哲学復帰への要因はそれだけではないとされている。ここら辺は研究者でもさまざま説があるはずだ。

    後期より前期を評価する人も少なくない。バートランドラッセルもそう。
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■36569 / inTopicNo.24)  Re[58]: ラムジーの最愛の楽章
□投稿者/ knowingitself -(2024/02/18(Sun) 13:20:21)
    floraさん こんにちは

    >>ウィトゲンシュタインの「哲学探究」では、「序」において、ラムジーとスラッファによるところが多いと記されている。ラムジーとは、彼の人生の最後の二年間、数えきれないほどの会話の中でウィトゲンシュタインの考えについて彼と議論したと。ラムジーは「論理哲学論考」の翻訳者にして批判者だった。
    >
    > 「論理哲学論考」の翻訳者は、(主翻訳者)チャールズ・ケイ・オグデン、とラムジー自身だったと思いますが、ラムジーはオグデンの翻訳のどんなところに批判的だったのでしょうか? よろしくお願いいたします。

    ラムジーは英語に翻訳されたものに批判的というより、原典としての「論理哲学論考」それ自体がもっている弱点・限界のようなものを指摘したのだと思います。「論理哲学論考」の素晴らしいさは評価した上でしょう。

    以下、「哲学探究」の「序」からウィトゲンシュタイン本人の文を引用します。訳は鬼界影夫さん。

    引用開始



    というのは、十六年前に再び哲学に関わり始めて以来、あの最初の本に書き記したことの中に私はいくつもの深刻な思い違いを認識せざるを得なかったからだ。私の考えがフランク・ラムジーから経験した批判は、これらの思い違いを自覚する上でーー自分ではその程度が評価できないくらいにーー大きな助けとなった。彼の人生の最後の二年間、数えきれはいほどの会話の中で私の考えについて彼と議論した。

    1945年1月 ケンブリッジ 

    引用終わり

    上記引用のなかの「あの最初の本」とは、「論理哲学論考」です。
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