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■23154 / inTopicNo.25)  Re[75]:  つれずれなるままに
  
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/05/08(Sun) 19:19:08)
    わたしはいまこうして生きているけど、

    着実に死への道を歩き続けている。
引用返信/返信 削除キー/
■23146 / inTopicNo.26)  Re[74]:  呪術的思考の因果論
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/05/08(Sun) 10:20:39)
    下調べがだいたい終わったところで、

    No23090にもどります。

    *妖術師(人間)が妖術(人間に災いをもたらす超自然的なもの)を使い、他の人間に災いをもたらす。
    *干渉:他人のことに立ち入り、自分の意志に従わせようとすること。

    で、

    アザンデ族の呪術的思考の因果理論、

    〔witchcraft妖術には一つの因果理論が含まれている。すなわち、不運は妖術が自然力と共同してひきおこすものである。ある男が穀物倉の支柱が白蟻にむしばまれて倉が頭の上に崩れ落ちてくるとすれば、アザンデ族は、穀物倉が原因であって、それが妖術と結びついてその男を殺したのだと言うであろう。穀物倉はそれ自体で存在するものだから、妖術はその存在については責任がない。しかしながら、それらの原因が、ある特定の人間がそのかげで休んでいるというというある特定の瞬間にそれが起こったのは、妖術のせいである。これらすべての原因の中で、妖術だけは人間が干渉して変更させることができる。それは妖術がある一人の人間に発するものだからである。穀物倉に対しては干渉の余地がない。それらも原因と考えられてはいるけれども、社会的関係という面においては無意味である。〕(これが“アザンデ族の”を言い表してるとしてね)

    を理解しようと思うんだけど、
    言い方をかえると、近代西洋の知のあり方・分類の仕方とは異なる、自称文明人から見たいわゆる未開人(野蛮人)の知のあり方・分類の仕方(野生の思考)、を理解しようとすること。

    「その男の人が死んでしまったのはどうして?」 
    その因果性をアザンデ族の人たちはどう考えているのかな〜、っていうこと。

    〔不運は妖術が自然力と共同してひきおこすものである〕
    「運」を〈巡り合わせ〉ってして、「不運」を〈巡り合わせが悪い〉ってして見ます。
    〔自然力〕は〔穀物倉の支柱が白蟻にむしばまれて崩れ落ちる〕のことかな?

    〔穀物倉が原因であって、それが妖術と結びついてその男を殺したのだ〕
    かれらも、その男が死んだのは〔穀物倉の支柱が白蟻にむしばまれて崩れ落ちた(自然力)〕が原因だとしてるんだとおもうけど、でもそれだけじゃなくて、そこに〈人間に災いをもたらす超自然的なもの(妖術)〉を登場させている。自然力+妖術が原因って見てるわけよね。------ どうして?

    〔穀物倉はそれ自体で存在するものだから、妖術はその存在については責任がない。〕
    かれらのいう妖術っていうのは、“人間に”災いをもたらすものだから?
    〔その存在〕って?〔穀物倉が崩れ落ちた〕こと?
    で、〈人間に災いをもたらす超自然的なもの(妖術)〉は〔穀物倉が崩れ落ちた〕ことには責任がない、としてる?
    どうやら、妖術が穀物倉に作用して倒した、っていうことじゃなさそう。
    穀物倉が倒れた原因は白蟻、これを自然力と見ているのかな?

    〔それらの原因が、ある特定の人間がそのかげで休んでいるというというある特定の瞬間にそれが起こったのは、妖術のせいである。〕
    これどう見ようかしら。
    「その男の人が死んだ」、を考えて見ると、
    (a)その男の人であるということ。
    (b)その時であるということ。(穀物倉が倒れた時)(その男の人が穀物倉のかげで休んでいた時)
    (c)その場所であるということ。(穀物倉が崩れ落ちた場所)(その男の人が休んでいた場所)
    この三つすべてがそろっているばあいかな。
    もし、
    穀物倉が崩れ落ちたたとき、
    (1)その男の人が穀物倉のかげで休んでいなかった場合(ほかのところで休んでいた)
    (2)その男の人じゃなくて、他の人であった場合
    (3)そこに誰もいなかった場合
    もありうるよね。
    もっとも、(3)のばあい、その男の人が死んでしまったのはどうして? っていう問いはなくなるけど。

    (a)(b)(c)の条件がそろったのは妖術のせい(原因)ってしてる?

    〔これらすべての原因の中で、妖術だけは人間が干渉して変更させることができる。それは妖術がある一人の人間に発するものだからである。〕
    〔妖術だけは人間が干渉して変更させることができる〕
    妖術は、〈“人間に”災いをもたらす超自然的なもの〉で、〈妖術を使うのは人間〉だから、人間が干渉(他人のことに立ち入り、自分の意志に従わせようとすること)ができるのは、(これらすべての原因の中で)妖術だけっていうこと?
    〔妖術がある一人の人間に発するもの〕の〔一人の人間〕っていうのは、死んでしまったその男の人のこと?

    〔穀物倉に対しては干渉の余地がない。〕
    穀物倉が崩れ落ちた、に対しては干渉(他に立ち入り、自分の意志に従わせようとして変更させる)余地はない?
    その男の人が穀物倉に自分の意志に従わせようとすることはできなかったっていうこと?あるいは、穀物倉が崩れ落ちたのは誰のせいでもない、こういうこと?

    〔それらも原因と考えられてはいるけれども、社会的関係という面においては無意味である。〕
    〔社会的関係という面においては無意味である〕ってしているのは、Evans-Pritchard?それともアザンデ族の人が?これ、よくわかんなかった。

    その男の人が死んでしまった原因の、アザンデ族の人たちの思考をいろいろ考えて見たんだけど、
    穀物倉が崩れ落ちた原因は白蟻、これはかれらもそう思ってるんだと思うし、わたしもそう思う。
    問題なのは、
    どうして〈その男の人が〉〈その場所で〉〈その時に〉〈穀物倉が崩れ落ちた〉のか、っていう、この四つの巡り合わせが同時に起こったその原因を、かれらは考えているのかもしれない。
    わたしだたったら、巡り合わせが悪かった(運が悪かった)って、偶然性を考えるだけだけど。でもかれらはそうではなくて、そこに妖術を登場させてるのかもしれない。ある出来事に含まれる偶然性をも視野に入れ、包括的・全体性のなかでその出来事における因果性を思考する、こんな感じで、
    その男の人に、妖術が働いてしまった、って。

    いまであれば、
    ある人が崩れ落ちてきた穀物倉で頭を打って死んでしまった、その原因を追究しようとするとき、その穀物倉を管理している人の責任に向かうのかもしれない。でもこのばあいでも、責任の追及を人間の仕業に求めようとすることにはかわりないのかも。

    わた、し野生の思考に近づけたかな〜? なんか?ばっかりで、すっきりしないけど、ひとまず、にしとく。

引用返信/返信 削除キー/
■23124 / inTopicNo.27)  Re[73]:  妖術師
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/05/07(Sat) 16:32:44)
    「妖術」とは、〔ある人間が超自然的能力によって,他者に傷,病,死などの不幸,災害を与えること〕。
    ってあるから、妖術をつかう人間を「妖術師」ってして見た。
    確認のため、ネットで調べて見た。

                    *******
    コトバクンより

    *ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「妖術師」の解説
    妖術を行う者。女性の場合は魔女ともいう。生れつき,あるいは親から受継ぐもの,または特別な儀礼や突発的事件がきっかけとなってその性質を得るものとされる。死刑や追放によって処罰されるべき害悪者とみなされたり,あるいは呪術=宗教的処置によってなおしうる一種の病気であるとみなされたりする。 16〜17世紀頃のヨーロッパでは,妖術者は暗闇や死体を好み,夜間に空を飛び,集会を開くものと信じられて数々の激しい迫害を加えられ,また異民族や放浪民族が妖術者として迫害を加えられたこともあった (→魔女狩り ) 。アフリカ,インド,太平洋諸地域などでは,妖術者の危害から逃れるための特別な祭祀,儀礼があり,一般人を妖術者から守るための司祭者組織や社祠,聖堂などが設けられている。

    *デジタル大辞泉「妖術師」の解説
    妖術を行う人。魔法使い。

    *世界大百科事典内の妖術師の言及
    【悪魔】より
    …悪魔と契約を結ぶ魔女は,キリスト教を冒瀆するものであり,当然処刑されるべきものと考えられた。ヨーロッパ人ほど魔女・妖術師に対する迫害を激しく徹底的に行った民族は他に例がない。アフリカでは妖術師と思われる者に毒薬を飲ませて有罪か無罪かを占ったあと,有罪者を処刑した社会もあるが,妖術師に対する告発は西洋に比べればおとなしいものであった。…

                      *******

    ん、魔女?

    あらためてわかったんだけど、
    悪魔と契約を結ぶ女性を「魔女」って呼んでたのね。
    けっきょく、魔女って人間だったのね。

    で、ちょっとかんがえてみたんだけど、
    (d)妖術師は他の人間に傷,病,死などの不幸,災害を与える。
    (f)妖術師は妖術によって他の人間に傷,病,死などの不幸,災害を与える。
    この二つは、そこから向かう方向が違ってくるかも。
    (d)のばあい、妖術師(人間)は他の人間に災いをもたらす。だから、その人間をなんとかすればいい、という方向に向かって、魔女狩りが行われたのかな。
    (f)のばあい、妖術師は人間、問題なのはその人間ではなくて、他の人間に災いをもたらすのは妖術なのだから、問題はその妖術。だから、その妖術をなんとかすればいい、っていう方向に向かうこともあるかも。
    わたしが(f)のように思われたのは、
    【「悪い男が哀れな子供を殺した」がチヌーク語では「男の悪さが子供の哀れさを殺した」】からね。

    ひとまず、「妖術」に関しては、
    「妖術師(人間)」と「妖術」と「される人間」
    この三つを区別しとく。

    あと、
    No23089の訳注(15-1)に、
    〔とくにこのアザンデ族を研究したエヴァンス=プリチャードは、無意図的なwitchcraftと意図的なsorceryとの区別を立てた。〕ってあって、
    No23095のネットに、
    〔呪術magic〕
    〔人を苦しめ呪(のろ)い殺すための呪術は「黒い呪術」といい、「邪術」sorceryともいわれる。〕
    ってある。

    witchcraftとsorceryは違う見たいなんだけど、よく分かんなかんない。ひとまず、妖術をwitchcraftってしとく。


    語の意味、わたしの感性的意味だけじゃだはっきりしなかったのが調べて見るといろいろ見えてくるね。

引用返信/返信 削除キー/
■23111 / inTopicNo.28)  Re[72]: フェティシズム
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/05/06(Fri) 19:31:34)
    語の意味

    No23090のをわたしが理解するための、

    『野生の思考』の中に「フェティシズム」っていうのが出てくる。ネットで調べたんだけど、ついでにこれも書いとく。

               ********

    ※「フェティシズムfetishism」

    宗教学や文化人類学では呪物崇拝(じゅぶつすうはい)あるいは霊物崇拝と訳され、人工物や簡単に加工された自然物に呪力が宿ると信じ、これを崇拝することを示す。また心理学、精神分析学や経済学の分野では、この宗教学上の意味を発展させて、別の概念として使われている。心理学・精神分析学では、異性の身体の一部や関係する物品に対してきわめて強い執着を示し、それを性的満足の契機とすることをいう。また、マルクス経済学では、商品が人間の労働による価値を通じてではなく、それ自体に固有な神秘的な力をもつと考えられて崇拝されることをさす。

    *語源:呪物を示すフェティッシュの語源は、ラテン語の「人工的につくられた」という意味のファクティティウスに由来し、直接にはポルトガル語のフェイティソ(護符、呪物の意)から派生している。

    *宗教学・人類学:この用語を初めて比較宗教学の分野に取り入れたのはド・ブロスである。彼はその著『呪物神の崇拝』(1760)でアジア、アメリカ、古代ローマ・ギリシアなど世界の諸地域を考察し、西アフリカ海岸地域の呪物が現地住民にとっては神であり、神聖な物体であり、呪符でもあることに注目し、古代エジプトの動植物の崇拝(猫、牛、山羊(やぎ)、麻、豆など)と比較対照し、エジプト人も個人の守護霊をもっていたとして組織的に研究を行った。そしてフェティシズムを単に西アフリカ一地域に限ることなく、広く他の社会にも適用することを提唱した。ド・ブロスはフェティッシュ(呪物)を人工物よりもむしろ自然物の中心にみいだしているが、こののち、フェティッシュの概念が広く使用されるようになり、比較宗教学にフェティシズムの概念が適用されてからは、これを宗教の発展段階の一部としてみる傾向が現れるようになった。へーゲルはフェティシズムを自然宗教の一形式とみなしたが、オーギュスト・コントはフェティシズムを多神教、一神教へと発展する宗教の最初の段階として位置づけているし、他の宗教学者もまた宗教の起源はフェティシズムにあるとするようになった.
    しかし人類学者のタイラーがフェティシズムをアニミズムの一部としてみる説を主張し、これが一般に受け入れられて以来、フェティシズムを宗教発展の一段階としてみる考えは否定されている。
    フェティシズムの対象であるフェティッシュは、初め、人工物のみを示していたが、その後、自然物にも適用されるようになり、その観念はあいまいとなった。また、死霊や精霊など人格的な存在と結び付けて崇拝するのを霊物崇拝、非人格的な力のために崇拝されるのを呪物崇拝として区別される場合もあるが、通常はこの両者を含めて呪物崇拝あるいはフェティシズムとよんでいる。
    ハッドンは、呪物をその本質的特質からさまざまに分類し、呪物はそれが表現する物に似せてかたどることがないのに対し、偶像は神の象徴であってさらに神の容器ではないと判断して、フェティシズムと偶像崇拝とを区別した。しかしフェティシズムを厳密に他の宗教上の概念(自然崇拝、祖先崇拝、トーテミズム、偶像崇拝など)と区別するのは困難であり、このことからフェティシズムの用語は濫用ぎみに使用されるようになった。また、宗教研究に物質的な面より信仰体系や儀礼の側面に重点が置かれるようになったこともあり、現在ではフェティシズムの概念は宗教学、人類学の分野では使用されなくなってきている。

    *心理学・精神分析学:心理学や精神分析学では、性愛の対象が異性の存在全体ではなく、その身体の一部(毛髪、手、足、指、耳など。通常は性器は含まない)や、関係する物品(相手の持ち物や身に付けたものなど。たとえば、靴や、靴下、下着、ハンカチなど)に対してとくに強く向けられる傾向をフェティシズムとよぶ。通常の性愛においても異性の身体の一部がその対象になる傾向はあるが、フェティシズムの場合は、身体の一部や関係する物品(これらのフェティシズムの対象をフェティッシュとよぶ)がその異性から切り離され、それ自体が性的満足の契機となる。したがって、それ自体にきわめて強い執着を示し、それなしでは性的満足を得られない場合が多い。この概念はA・ビネによって心理学に適用され、その後、S・フロイトによって理論的に発展させられた。フェティシズムの発生要因としては、幼児期の性的興奮と、特定の対象とが偶然の状況で結び付けられたとする説明や、部分によって全体を象徴する人間の普遍的な認識様式に結び付けた説明などがあげられる。フェティシズムは過去には、節片淫乱(いんらん)症などと訳され、異常性欲、性倒錯の例として示されてきたが、近年、性愛の対象が身体の一部や関係する物品に向けられる傾向は普遍的に存在するとされ、これを倒錯や異常性欲として扱う傾向は弱くなってきている。
               
                 *******

    フェティシズム=人工物や簡単に加工された自然物に呪力が宿ると信じ、これを崇拝すること。
    ってしとく。
    呪力は超自然的な力、呪は超自然的、ってなるのかな。超自然的って超越的になんか似てる。


    あともうひとつの語、ネットで、

    ※「干渉」
    @ かかわりあうこと。関係。
    A 他人のことに立ち入り、自分の意志に従わせようとすること。
    B 一国が他国の内政、外交に口出しをすること。
    C 政府が民間や個人の活動に口をはさむこと。
    D 二つ以上の同種類の波動が、同一地点で合ったとき、両者が重なって互いに強め合ったり弱め合ったりする現象。音波ではうなりを、光では干渉縞(かんしょうじま)を生ずる。
    ってあった。

    干渉=他人のことに立ち入り、自分の意志に従わせようとすること。
    ってしとく。


引用返信/返信 削除キー/
■23108 / inTopicNo.29)  Re[71]: 心に響かない投稿を読まされる心理
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/05/06(Fri) 18:49:42)
    あれ?無縁さん、
    ■23100、これ、わたしにってるの〜?

    だとして、

    >低収入、バカすぎて学位が取れない、友達いない。<

    これ、ピンポ〜ン、当たってるかも〜。
    ん〜ん、ほかんとこのはちょっとね。

    それにしても、
    「悪魔から生き残るための10の法則」
    これって、なんかヘン。

    ここ見なことにする人に話しかけるのなんかむなしいからこれ以上は書かない。

    でも、
    >1年寝てる場合じゃなかった<
    よかったじゃん、目覚めて。




引用返信/返信 削除キー/
■23095 / inTopicNo.30)  Re[69]:  呪術・妖術
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/05/05(Thu) 20:04:27)
                   *******

    ※「呪術magic」

    *超自然的な存在に訴えることによって、病気治療、降雨、豊作、豊漁などの望ましいことの実現を目ざした行為。

    *呪術は英語のmagicの訳で、まじない、魔術ともいわれるが、手品師を魔術師ともいうので、手品と区別するために呪術という語が用いられている。magicは、語源的には古代ペルシア語のMagus(占いや呪術を職業としている集団)に由来し、ギリシア語のmagos(マグス人、呪術師)はその借用語である。この行為の背後には超自然的存在に関する信仰が存在することが多いが、信仰が呪術的行為の前提であるとは限らない。

    *J・フレーザーは、呪術が超自然的霊格を統御することによって目的を達成しようとするのに対して、宗教は霊格に対する懇願であると述べて、両者を峻別(しゅんべつ)した。しかし、諸民族の宗教体系には両者の区別が明瞭(めいりょう)でないものが多く、宗教という用語のなかに呪術を含んで使われることが少なくないし、「呪術・宗教的」という語も用いられる。フレーザーはまた呪術と宗教の関係を発達段階としてとらえ、呪術のほうが宗教よりもより原始的であると論じたが、もっとも原始的とされる狩猟採集民においても、至高神の崇拝をめぐる宗教体系がみられることがしばしばあり、一概に呪術が古いとはいえない。たとえばアフリカの狩猟民であるサンとインドネシアのスマトラに住む農耕民ミナンカバウとを比較した場合、文化的には後者のほうが複雑であるが、呪術はミナンカバウのほうにいっそう顕著である。

    *長い間日照りが続くと、水をまいたり、太鼓をたたいたりして行う雨乞(あまご)い儀礼は世界各地の伝統社会にみられるが、水を地面にまき、太鼓をたたいたりする呪術は、降雨と雷鳴のまねである。このように望ましい現象と似たことを行う呪術を、フレーザーは「類感呪術」あるいは「模倣呪術」とよんだ。これに対し、日本に、病弱な子供を健康にするために、じょうぶな子供の着ていた着物の布きれを集め、それを縫い合わせて着せるという習慣がある。これは、フレーザーが「感染呪術」とよんだもので、「接触呪術」ともいわれる。他人を病気にさせるために、その人の毛髪、爪(つめ)、排泄(はいせつ)物、衣服などを火にかけたりする呪術も、感染呪術の一種である。雨乞いとか健康回復を目ざす呪術は、社会や人のために行う呪術として「白い呪術」ともいわれる。人を苦しめ呪(のろ)い殺すための呪術は「黒い呪術」といい、「邪術」sorceryともいわれる。

    *ヨーロッパにおいて16世紀から17世紀にかけて、いわゆる「魔女狩り」が盛んに行われた。魔女というのは、なにか超自然的な方法で他人に害を与えるとされる女性のことである。呪術によって他人を病気にさせ、あるいは危害を与えるとされた者の多くが女性であったことは明らかであるが、なかには男性もいたので、魔女という語はかならずしも適切でない。呪術によって他人を病気にさせたり、危害を与えることができるという信仰はヨーロッパに限らず、前述のインディオそのほか多くの伝統社会にみられ、呪術(邪術)を用いたと非難される者が女性である社会も少なくないが、なかには、アフリカのルグバラLugbaraのようにつねに男性である社会もある。したがって、こういう現象を広く比較してみるためには、魔女という語は適切でない。文化人類学では妖術(ようじゅつ)師とか邪術師という語のほうが用いられることが多いし、しいて日本語にせず、英語のウィッチwitchという語がそのまま使われることもある。
    *妖術はいろいろな社会で(たとえばバクウェリの社会で)「ねたみ」「そねみ」の観念と結び付いており、妖術師のねたみを買うとその餌食(えじき)になると信じられている。アフリカの農耕民ニャキュサの妖術師は、夜間に空中を飛んできて、恨みに思う者を襲うとされている。ねたみを受けると妖術師の攻撃を受けやすいとされている。また妖術師は、けちな人をねらうともいわれる。要するに妖術師は、けちな人間や、不親切な人間、成功しすぎた人間を襲うと信じられている。こういう人間はまた妖術師の嫌疑を受けやすい。このように、妖術や邪術に対する恐怖が、人々に社会の規範に従わせるという面を備えていることは否定できない。

    *現代の社会において、呪術的行為は消滅したわけではなく、飲食店に招き猫が置かれ、自動車に神社仏閣などの御守(おまも)りがよくみかけられる。招き猫や御守りは呪物である。また結婚式に「吉日」を選ぶのは一般的である。科学技術の進歩に伴って、古代から受け継がれてきた呪術や俗信を不合理であるとする見方が出てくると、これらを「迷信」とよぶようになる。「迷信」という観念自体、社会の近代化に伴って生まれるものであり、また自分の信じていない他人の信仰が迷信とよばれることが多い。かつてタイラーE. B. Tylorは『原始文化』(1871)のなかで呪術のことを、人類を悩ましてきた「幻想」であると述べたが、その後、現地調査が進むにつれて、それが多くの住民にとっては、まぎれもない「現実」であることがわかってきた。さらに現在では、呪術とか魔法という言葉自体が、西洋的な合理主義から見下した思考に基づいており、非西欧社会の「論理」を無視したとらえ方であるという見解もある。また1970年、1980年から、たとえば、アメリカ大陸の先住民の呪術やシャーマニズムには西洋の科学では説明できない現象があるという論議がなされており、フランスの農村で邪術の調査をした人類学者(ファブレ・サーダ)は邪術には客観的現実性があることを1977年の著書で述べている。アフリカのソンガイで調査をした人類学者(ストーラーとオルケス)は実際に邪術に攻撃された経験について記している。
                      *******
    ※「妖術witchcraft」

    *ある人間が超自然的能力によって,他者に傷,病,死などの不幸,災害を与えること,およびその儀礼的手段。アフリカのアザンデ族におけるように,その能力をもつ者が他者に危害を及ぼす意志がなくても不幸,災害が起るという妖術と,意図的に行う邪術とがカテゴリーとして区別される社会もあるが,両者の区別が必ずしも明白でない社会も多く,無意図的とされる妖術の観念は欠落しているが意図的な邪術はみられる社会もある。この妖術師,邪術師に対する告白と処刑をきびしく行う社会 (16〜17世紀ヨーロッパ) もあるが,あからさまな非難はほとんど行わない民族もある。

    1 人を惑わすあやしい術。幻術。「妖術使い」
    2 《witchcraft》その人が意図しなくとも、他人にねたみや憎しみを感じたりすると、その人に災いをもたらすような心霊作用・力。

                     ********

    簡単に見ちゃうよ、

    (x)人間や人間の生活
    (y)超自然的なもの
    この二つで見て、

    「呪術」っていうのは、
    1.(y)の存在を信じている。
    2.(y)は(x)にとって好ましい存在でもありうるし、好ましくない存在でもありうる、っていうこと。
     例えば「白い呪」は前者になり、「黒い呪術」「邪術sorcery」後者になる。
    こういうなかで、

    「妖術」は、
    〔ある人間が超自然的能力によって,他者に傷,病,死などの不幸,災害を与えること〕ってあるから、
    〈超自然的能力をもつ人間がいるとし、その術によって,他者に傷,病,死などの不幸,災害を与えること〉、っていうことになるかな。
    ここで注意することは、人間が人間に好ましくないことをするんじゃなくて、あくまでも(人間にとって好ましくない)超自然的なもの(妖術)のせい(が原因)であって、人間のせいとはしていない、っていうことね。

    No22989にあるような、
    【「悪い男が哀れな子供を殺した」がチヌーク語では「男の悪さが子供の哀れさを殺した」】っていうのはこういうことなのかもしれない、ってふと。

引用返信/返信 削除キー/
■23090 / inTopicNo.31)  Re[68]:  呪術的思考の因果論
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/05/05(Thu) 17:13:55)
    「呪術的思考の因果論」ってするとなんか難しい論文みたい。でも、そんなんじゃないよ〜、幼いの。

    No23070のところにあった、Evans-Pritchardのアザンデ族の人たちの因果理論についてね。

    これを、穀物倉のケースだけにしぼって、

    〔witchcraft妖術には一つの因果理論が含まれている。すなわち、不運は妖術が自然力と共同してひきおこすものである。ある男が穀物倉の支柱が白蟻にむしばまれて倉が頭の上に崩れ落ちてくるとすれば、アザンデ族は、穀物倉が原因であって、それが妖術と結びついてその男を殺したのだと言うであろう。穀物倉はそれ自体で存在するものだから、妖術はその存在については責任がない。しかしながら、それらの原因が、ある特定の人間がそのかげで休んでいるというというある特定の瞬間にそれが起こったのは、妖術のせいである。これらすべての原因の中で、妖術だけは人間が干渉して変更させることができる。それは妖術がある一人の人間に発するものだからである。穀物倉に対しては干渉の余地がない。それらも原因と考えられてはいるけれども、社会的関係という面においては無意味である。〕

    これで考えていって見ます。これどいう意味?っていうこと。

    そのために、いくつかの語の意味をネットで調べたのをつぎから写して見ます。

引用返信/返信 削除キー/
■23089 / inTopicNo.32)  Re[67]: 『野生の思考』
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/05/05(Thu) 14:25:41)
    もう連休もおわっちゃうよ〜、じっくり読んだのはまだ最初のほうのちょっとだけ。
    お休み中に書きとめておいたのあるから、すこしづつ発表してくよ。

    No23070の、Evans-Pritchardの(witchcraft妖術)の妖術には訳注(15-1)がついていたので書き写しておきます。

    訳注(15-1)
    この引用文中の「妖術」の語原はすべてwitchcraftであるが、レヴィ=ストロースの仏訳ではsorcellerie。エヴァンス=プリチャードはとくにこのアザンデ族を研究して無意図的なwitchcraftと意図的なsorceryとの区別を立てたが、フランス語では区別ができず、どちらもsorcellerieになる。それでとくにここで語原を挙げて断っているものと考えられる。

    ■23070で抜粋したところは、「呪術的思考(野生の思考)」と「科学的思考」とを見比べているんだと思う。

    レヴィは、「野生の思考」を【具体の科学】とか【原始的科学というより「第一」科学】って言ってる。
    すなわち、「野生の思考」も「科学的思考」って見てるんかも。

    あと、「野生/栽培化・家畜化」、「未開/文明」っていう対比もあるかな?

    これら、レヴィが両者の違いについて書かれてあるところを中心に抜粋していって見るつもり。

    あ、その前に、Evans-Pritchardが言ってこと、すなわち〈アザンデ族の人たちの因果理論〉を理解しかなくっちゃ。

引用返信/返信 削除キー/
■23070 / inTopicNo.33)  Re[66]: 『野生の思考』
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/05/04(Wed) 19:18:58)
    きょうはもうちょっと、書き写し。

                ******

    ‥‥このように、徹底的な観察を行い、事物の間にあるもろもろの関係をあますところなく調べ上げようと努めておれば、ときには科学的に正しい結果に到達することもある。狩猟で殺した牝野牛(バイソン)の腹から胎児をとり出して、その発育段階で春の近さを判断するブラックフット・インディアンの場合はその例である。しかしながら、科学的には誤りとされる数多い他の同種の関係づけの例とこれらの成功例とを切り離すことはできないのである。ユベールトモース(Hubert et Mauss 2, p.61)の言うごとく、呪術的思考とは「因果律の主題による巨大な変奏曲」なのであって、それが科学と異なる点は、因果性について無知ないしその軽視ではなく、むしろ逆に、呪術的思考において因果性追求の欲求がより激しく強硬なことであって、科学の方からは、せいぜいそれを行きすぎとか性急とか呼びうるにすぎないのではなかろうか?
    P15
    「自然哲学の体系として考えるとき、それ(witchcraft妖術)には一つの因果理論が含まれている。すなわち、不運は妖術が自然力と共同してひきおこすものである。ある男がアフリカ水牛の角で引っかけられるとか、穀物倉の支柱が白蟻にむしばまれて倉が頭の上に崩れ落ちてくるとか、脳髄膜炎にかかるとすれば、アザンデ族は、水牛や穀物倉や病気が原因であって、それが妖術と結びついてその男を殺したのだと言うであろう。水牛や穀物倉や病気はそれ自体で存在するものだから、妖術はその存在については責任がない。しかしながら、それらの原因が、ある特定の人間がそのかげで休んでいるというというある特定の瞬間にそれが起こったのは、妖術のせいである。これらすべての原因の中で、妖術だけは人間が干渉して変更させることができる。それは妖術がある一人の人間に発するものだからである。水牛や穀物倉に対しては干渉の余地がない。それらも原因と考えられてはいるけれども、社会関係という面においては無意味である。」(Evans-Pritchard 1.pp.418-419)

    この観点からすれば、呪術と科学の第一の相違点は次のようなものになろう。すなわち、呪術が包括的かつ全面的な因果性を公準とするのに対し、科学の方は、まずいろいろなレベルを区別した上で、そのうちの若干に限ってのみ因果性のなにがしらの形式が成り立つことを認めるが、ほかに同じ形式が通用しないレベルもあるとするのである。しかしながら、さらに一歩を進めて、つぎのように考えることはできないだろうか?すなわち、呪術的思考や儀礼が厳格で緻密なのは、科学的現象の存在様式としての因果性の真実を無意識的に把握していることのあらわれであり、したがって、因果性を認識しそれを尊重するより前に、包括的にそれに感づき、かつそれを演技しているのではないだろうか?そうなれば、呪術の儀礼や信仰はそのまま、やがて生まれ来るべき科学に対する信頼の表言ということになるであろう。

    P16それだけではない。この先駆けは、その性質から言ってときに成功することもあるが、それにとどまらず、さらに二重の先駆けとなりうる。一つは科学に対してであり、もう一つは、科学が相当に発達した段階に至らなければ自分のものとなし得ない方法および結果に対してである。すなわち人間は、感覚に直接与えられもの(感覚与件)のレベルでの体系化というもっとも困難な問題にまずとり組んだのである。科学はそれに対して長らく背を向けていたが、いまようやくそれを展望の中に取り入れはじめている。科学的思考の歴史においても、この先駆現象は何度も繰り返して発生している。…‥


                 ********

    因果性を問題についてかいてるみたい。


    遊覧船の事故?ニュースで見たけど、結果と原因(因果性)を調べてるみたいだけど、どういう方向に”しよと”してるのかしら?



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■23059 / inTopicNo.34)  Re[65]: 『野生の思考』
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/05/04(Wed) 16:53:04)
    『野生の思考』を読んでて、わたしが気になったところを書き留めてるんだけど、そこんとを書き写していってみます。
    ********

    実際には概念の切りとり方は言語によって異なり、18世紀に『百科全書』のnom(名、名称、名詞)の項目の執筆者がいみじくも述べているように、用語の抽象度の差異は知的能力によって左右されるものではなく、一民族社会の中に含まれる個別的社会のそれぞれが、細部の事実に対して示す関心の差によって決まるのである。「天文台に上ってみたまえ。『星』のおのおのは、そこでは単なる一箇の星ではない。それは山羊座のβ星であり、ケンタウルス座のγ星であり、大熊座のς星等々である。厩舎に入ってみたまえ。『馬』には『ヒカリ』『ハヤテ』『タケル』などと、それぞれ固有の『名(nom)』がついている。」それに、本章の冒頭に引いた、いわゆる未開言語について言われることがもしかりに文字どおりにとられなければならぬとしたところで、それから一般概念の欠如という結論を引き出すことはできない。「カシワ」、「ブナ」、「カバノキ」などが抽象語であることは、「樹木」が抽象語であるのと同じである。二つの言語があって、その一方には「樹木」という語だけしかなく、他方には「樹木」にあたる語がなくて樹木の種類や変種を指す語が何十何百とあるとしたら、いま述べた観点からすれば概念が豊富なのは前者の言語ではなくて後者の方である。 

    ********

    うん、たしかにそう。
    わたし「カシワ」、「ブナ」、「カバノキ」っていう名知らない。
    木の名前よね〜、「マツ」「タケ」「ウメ」「サクラ」「イチョウ」・・・ん〜ん?ほかにどんなのあったけ〜?


    「抽象語」って〈概念につけられた名〉よね。
    たとえば「サクラ」っていうのも抽象語よね。それ、分類されたもの(=概念)の名。
    それと、概念は「意味」とも言うよね。

    わたしの目の前にあるひとつの「それ」。わたしが「それ」を「サクラ」って思うとき、すでに「サクラ」が「それ」の意味となっている、みたいなこをって思ったのを想い出した。(あ、わたしがその木をサクラって思うときは花が咲いてるときだけね)

    ある「木」を見て、その木の名が言える、っていうことは凄いことね。わたしなんかほとんどわかんない。
    それにしても、わたし野生の人より貧概念ね。

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■23045 / inTopicNo.35)  Re[64]: 先進国と後進国
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/05/03(Tue) 18:58:18)
    ネットで調べたんだけど、ちょっと書き写すね。

    a.「先進国」とは
    「先進国」とは、「政治や経済、文化などが国際的な水準から見て進んでいる国」といった意味の言葉です。特に経済面での発展が著しい国を言い、「発展途上国」と対比される形で使われることが多くなっています。
    「先進国」は明確な定義があるわけではありませんが、一般的には「OECD(経済協力開発機構)」に加盟する国々を指すことが多くなっています。また、GDPも「先進国」を区別する指標となり、1人あたりGDPが1万ドルを超えると「先進国」と呼ばれるのが通常です。
    「先進国」はこのように、工業や経済が発展して、多くのモノを生み出せる国を指すようになっています。この点は、対比される「発展途上国」との違いになります。

    b.「新興国」とは
    「新興国」の意味はいくつかありますが、一般的には、「投資や貿易が活発になり、急速な経済成長を遂げようとしている国」を指すようになっています。「先進国」ではないものの、経済発展の著しい国を言い、「エマージング・カントリー」と呼ばれることもあります。
    「新興国」の定義は相対的なもので、どの視点から見るかで変わってきます。例えば現在は「先進国」とされるアメリカや日本も、20世紀の始めは「新興国」でした。ただ、現在の視点で見れば、一般的には中南米や東南アジア、中東、東欧などの国々が「新興国」と呼ばれるようになっています。
    このように、「新興国」は「十分な発展はしてないものの、経済成長の目覚ましい国」を指す点が、「先進国」との違いになります。一方、「発展途上国」との違いはあいまいですが、やはり経済状況が上向きかどうかで使い分けられるようになっています。

    c.「発展途上国・開発途上国」とは
    「発展途上国」とは、「経済的な発展が相対的に後れている国」という意味の言葉です。「開発途上国」「途上国」などとも呼ばれます。
    「発展途上国」は、前述のように「先進国」との対比で使われる言葉です。1960年代に、「後進国」などの言葉に代わって作られました。「先進国」とは違い、人口1人あたりの所得水準が低く、第1次産業の比重が高いなどの特徴があります。具体的には、アジアやアフリカ、ラテンアメリカなどの「DAC(開発援助委員会)」の援助対象になっている国々を指して使われます。

    d.「後進国」とは
    「後進国」とは、「産業や経済の面で、他よりも発達が遅れている国」という意味の言葉です。「発展の進行が遅れている」という意味で、「後進」の語が当てられています。イギリスの経済学者J・S・ミルが、著作「経済学原理」の中で使ったのが最初になります。「後進国」は、かつては「先進国」の対義語として広く使われていました。しかし、前述のように1960年代に入ると、この言葉は適切ではないとして代わりに「発展途上国(開発途上国)」の語が提唱されます。以後は国連でもそちらの方が定着し、「後進国」の語が使われることはなくなりました。
    このように、「後進国」と「発展途上国」に意味の違いはありませんが、「後進国」という言葉は現在ほとんど使われていないと言った違いがあります。

    こんなのがあった。

    簡単に見ちゃって、
    「先進国」=多くのモノを生み出せる国
    ってしとく。

    でね、

    いまもね、人類を、国を基準に「先進国人」「新興国人」「発展途上国・開発途上国人(昔は「後進国人」)」って分類してるみたいじゃん。こういうのって、〈近代西洋の知のあり方、分類の仕方〉によるものかもね。

    ところで日本国人って、先進国人?


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■23042 / inTopicNo.36)  Re[63]:  『野生の思考』
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/05/03(Tue) 16:16:40)
    「野生の思考」の例の一部を書き写して見ますね。

              *********
    p4
    ガボンのファン族についてステマンが「同一族の中のいろいろな種の間のごとく微細な差異まで区別する精密さ」(Tessmann,p.71)を述べているが、オセアニアでそれに対応するのは、さきに引いたハンディとプクイの二人の記述である。

    「現地人は鋭い能力でもって、海陸の全生物の諸属性や、風、光、空の色、波の皺(しわ)、さまざまな磯波、気流、水流などの自然現象のきわめて微細な変化を正確に記すことができた。」(Handy and Pukui,p.119)

    キンマの葉を嚙むというごく単純な習慣(4-1)でも、フィリピンのハヌー族にとっては、ビンロウジの実四変種、その代用品八種類、キンマ五変種とその代用品五種類についての知識が必要なのである。(Conklin 3)

    訳注(4-1)
    口中清涼剤として、キンマの葉とビンロウジの実に石灰を加えて噛む。唾液が赤くなる。東南アジア、印度洋沿岸に広く行われている習慣。

    「ハヌノー族の活動のすべて(ほとんどすべて)には、土地の植物に通暁(つうぎょう:徹夜、精通)し、植物分類の正確な知識をもっていることが必要である。自活経済の社会はその土地の植物のごく一部しか利用していないという説に反して、植物の利用率は93パーセントにのぼる。」(Conklin 1,p.249)
    p5
    動物についても同様である。

    「ハヌノー族は、その土地に棲息する鳥類を75種類に分類し‥‥蛇12種類前後、‥‥魚60種類‥‥淡水、海水の甲殻類12種類以上、同数のクモ・多足類‥‥を区別する。何千という昆虫は108種類にまとまられ、そのおのおのに名がついている。そのうち13種類が蟻および白蟻である。‥‥また海にすむ軟体動物60種類以上、陸産または淡水産の軟体動物25種類以上、吸血ヒル4種類‥‥を区別する。」合計で461種類の動物が記録されている。(同書pp.67-70)

    フィリピンのピグミーの一部族について、ある生物学者がつぎのように述べている。

    「平地に住みキリスト教化された隣接諸部族と異なるこのネグリト(p5-1)の特徴は、動植物についての底知れない博識である。驚くほどの多数の植物、鳥類、哺乳類、昆虫の種類を識別するだけでなく、それら動植物一つ一つの習性についての知識が深い…。」
    「ネグリトは、自分の暮らしている環境に完全にとけ込んでいる。そして、さらに重要なことは、ネグリトが自分をとりまくあらゆるものを絶えまなく研究していることである。私はつぎのような例を何度も目にした。何という植物かはっきりわからないと、その実の味を調べ、葉の匂いを嗅ぎ、茎を折って観察し、生えている場所を検討する。ネグリトはこれらのデータをすべて考慮したのちにはじめて、問題の植物を知っているとか、知らない植物だとか述べるのである。」

    訳注(p5-1)東南アジアとオセアニアのピグミーをネグリト、アフリカのピグミーをネグリロと呼ぶ。両者の関係は明らかではない。

    p6
    現地人が直接自分に役立たぬ植物に対しても、動物や昆虫とそれらとの関係に意味がるために関心をもつことを示したのち、同じ著者は続けて言う

    「ピグミーの鋭い観察力、植物と動物の生態の関係についての完全な知識のみごとな例は、各種のコウモリの習性についての彼らの論議である。ティディディンは枯葉の上に棲息し、ディキディックは野生のバナナの葉かげに、リットリットは竹林に、コルンボイは木の幹にあいた洞に、コナナバーは繁った森に居る‥‥といった調子である。」
    「ネグリト・ピナツボ族は、このようにコウモリ15種類の習性を識別する。もっとも、彼らのコウモリの分類もやはり形態上の類似と差異を中心にしており、その点は昆虫類、鳥類、哺乳類、植物の分類についても同じである。」
    「ネグリトの男は大てい誰でも、極めて容易に少なくとも植物450種類、鳥類75種類、蛇、魚、昆虫、哺乳類のほとんどすべて、さらには蟻20種の名称を言うことができる*。マナナーンバルと呼ばれる呪術医の男女は術を施すのにいつも植物を用いているので、彼らの植物に関する知識たるや、まったく驚嘆に値する。」
    *そのほか食用きのこ45種類(同書p.231)、また技術面では、矢のタイプの区別50種類。(同書pp.265-268)

    琉球列島のある後進地域の住民について、つぎのような記述がある。

    「子供でさえ、木材の小片を見ただけでそれが何の木かを言うことがよくあるし、さらには、彼ら現地人の考える植物の性別(6-1)でその木が雄になるか雌になるかまで言いあてる。その識別は、本質部や皮の外観、匂い、堅さ、その他同種のさまざまな他の特徴の観察によって行われるのである。何十種という魚類や貝類にそれぞれ別の名がつけられているし、またそれらの特性、習性、同一種の中での雌雄の別もよく知られている。」(Smith,p.150)

    p7
    現在ごく少数の白人の家族だけが辛うじて生活している南カルフォルニアのある砂漠地帯に、かつてはコアウィラ・インデアンが住んでいたが、彼らは何千人という多数であったにもかかわらず、天然資源を取り尽くすことはなかった。彼らは実に豊かな暮らしをしていたのである。一見したところ自然の恵みに乏しいと思われるこの地で、彼らの知っていた食用植物は60種、麻酔性、刺激性、または薬用の植物は28種類を下らなかった(Barrous)。
    セミノール・インディアンのインフォーマント(7-1)は、たった一人で植物の種・変種250を識別している(Sturtevant)。ホビ・インディアンは350種類の植物を、ナヴァホ・インディアンは500種類の植物を知っているという調査結果が出ている。フィリピン南部のスパヌン族の植物語彙は一千語を軽く突破し(Franke)、ハヌー族のそれは二千五に近い*。シャン氏は、ガボン人のインフォーマント一人だけを相手に調査して、近隣の12ないし13部族の言語や方言にまたがる約何千五の民族植物語彙を最近刊行した。(Walker et Sillans)マルセル・グリオールとその協力者たちがスーダン(7-2)で行った調査の結果は、大部分が未完であるが、一部分を見ただけで同じような驚異的なものであることがわかる。

    *本書164項および183項参照。

    訳注(7-1)人類学や言語学の調査に協力する現地人の情報提供者。

    訳注(7-2)スーダン共和国ではなく、西アフリカの旧仏領スーダン。スーダンという語はサハラ南緑のサバンナ地域全体を指すが、ここでは具体的には現地のマリ共和国のドゴン族やバンバラ族、フルべ族などについてのグリオール、ディーテルラン、ハンバテ=バ、ザアン、カラム=グリオールなどの仕事のことを言っている。本書47項、52項参照。

    生物環境と極度の親密さ、それに対する情熱的興味、それについての精密な知識、これらの態度や関心は、現地人が白人外来者と異なる点として、しばしば研究者の注目するところとなった。…‥

                ********

    そしてレヴィはこんなことも言っている。

    P12【…このような例は世界のあらゆる地域からもってくることができるが、それらから容易に次の結論がひきだされよう。動植物種に関する知識がその知識がその有用性に従ってきまるのではなくて、知識がさきにあればこそ、有用ないし有益という判断が出てくるのである。】

    P13【‥‥ところが、われわれが未開思考と呼ぶものの根底には、このような秩序づけの要求が存在する。ただしそれは、まったく同じ程度にあらゆる思考の根底をなすものである。私がこのように言うのは、共通性という角度から接近すれば、われわれにとって異質と思われる思考形態を理解することがより容易になるからである。】

                ******

    人類学なんてほとんど人、興味ないんじゃないかしら?
    わたし『野生の思考』っていう題名が面白かったのでつい買っちゃたんだけど、
    最初に、
    メルロー=ポンティの思い出に
    ってあるじゃん! なんと偶然〜!
    で、人類学っていうのに興味もって、でも、少し読んだだけだった。

    ほら、連休で、
    つれづれなるままに(することもなく手持ちぶたさなのにまかせて)、ね。





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