| 2020/10/31(Sat) 17:31:08 編集(投稿者)
■No8544に返信(ななしさんの記事) > パニチェさん、おはようございます。
> ■No8543に返信(パニチェさんの記事) >>ん?あれ?
>>ななしさん、『未来のアトム』って読んだことあります?
> 何かで見たような気はしますが、実際に読んだことはありません。
> これって、ニーチェと何か関係しているのでしょうか。
あ、いえ。『未来のアトム』はニーチェとは関係ありません。 投稿内容と投稿スタイルが似ていたので、私の掲示板時代の旧友かと勘違いしてました。 すみません。
先のななしさんの投稿はニーチェとも関連するとは思います。 ニーチェは身体性を大いなる理性と呼んでおり、最も遅れた発展である意識を身体性の玩具として産み出したと述べてはいます。
「意識。──意識性は、有機体の最後の、最も遅れた発展であり、したがってまたその表面の最も未熟な、最も無力な部分である。(悦ばしき知識第11番)」
「きみが「精神」と呼ぶところの、きみの小さな理性もまた、きみの身体の道具である。きみの大いなる理性の一つの小さな道具ないしは玩具である。(ツァラトゥストラ 身体を軽蔑する者たちについて)」
「創造する肉体が、みずからのために、自分の意志の一つの手として、精神を創造した。(ツァラトゥストラ 身体を軽蔑する者たちについて)」
個人的には意識が無意識の氷山の一角であることは、脳が身体性の一角であることと同じだと考えています。 |