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■6872  マジカルさんへ
□投稿者/ 時 -(2020/09/20(Sun) 11:52:59)
    マジカルさんへ こんにちは。お久しぶりです。

    > 私たちが、【言い返す機械】だったら、どうだろうか?

    > 私が言いたい事は、この世の全てが波動ならば、
    > コミュニケーションは永遠に続くのではないだろうか?

    > じゃ、この永遠につづくコミュニケーションを止めるには、
    > 「山」と言われても「川」とは答えないという事だ。なぜ?

    もしも人間が、感情のない機械ならば、そこにはプログラムされた何かがあるはずですね。「言い返す」というプログラムです。

    そこである時、私たち(言い返す機械)の中で、言い返すというコミュニケーションを止めたいと思考した(バグが発生した)人がいたのであれば、それは止まるのではないでしょうか。

    実際には、この「コミュニケーション」を日常での「論争」に言葉を置き換えてみるとよくわかると思います。

    ・じゃ、この永遠につづく論争を止めるには、「山」と言われても「川」とは答えないという事だ。なぜ?

    そこには「私の見解、私の考えたこと、私の思い」等々がないというバグが発生しているのだと思います。つまりは、「私の〜」というものがないのです。

    「私の〜」というものがないとはどういうことなのか?ですが、再度、実際に、論争をしない人を見ると、この私の意見や見解等、「私の思い」等に執着せずに会話します。これを仏教では、有身見の滅と言います。

    この「私」に対する執着がなくなると、その私に固執した見解が消滅します。(見解自体はありますが、それに対する固執がなくなるという意味です)

    では、その有身見の滅はどのような教えの実践で現実化するのかですが、「それは私の〜ではありませんよ。それを捨てなさいよ。」という五蘊非我という教えの実践です。

    ですので、この永遠につづく論争を止めるには、「山」と言われても「川」とは答えないという事だ。なぜ?・・・なぜならば、その見解(山だ、川だという思い)に固執・執着がなくなるからだと私ならば答えるでしょうか。

    ですので、論争や無駄話を続ける人と、そうでない人とが存在するのだと思います。

    トピずれ失礼しました。
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