HOME HELP 新着記事 ツリー表示 トピック表示 ファイル一覧 検索 過去ログ

ログ内検索
・キーワードを複数指定する場合は 半角スペース で区切ってください。
・検索条件は、(AND)=[A かつ B] (OR)=[A または B] となっています。
・[返信]をクリックすると返信ページへ移動します。 (*過去ログは表示されません)
・過去ログから探す場合は検索範囲から過去ログを選択。

キーワード/ 検索条件 /
検索範囲/ 強調表示/ ON (自動リンクOFF)
結果表示件数/ 記事No検索/ ON
大文字と小文字を区別する

No.6815 の関連記事表示

<< 0 >>
■6815  Re[41]: 第五図
□投稿者/ パニチェ -(2020/09/19(Sat) 12:03:35)
    2020/09/19(Sat) 12:32:19 編集(投稿者)

    こんにちは、横レス失礼します。

    No6814に返信(minoriさんの記事)
    > 永井均さんが、仏教には〈私〉がないのがつまらない、とおっしゃるのは、唯一無二の存在である〈私〉が活かされていない、ということが言いたいのかな、と感じる。

    同意です。無我を目指す自己探究の起点において一般的な「私」からスタートすることはあまりにも短絡的ではないか、というような意味も含んでいるんだと思います。
    例えば無我にある有無、つまり「何をもって存在とするか」を問う存在論は、これだけで哲学の主要な一大テーマですからね。

    『「無我」と言った時に、何がないのか。この「無我」って概念ははっきりしないんですね。我って言うと、分かったような気がして、我が無いんだというようなことを言うんですけど、いったい何がないのか、つまり、ないそれはいったい何であるのか、が問題です。哲学をやっている人間は、無我というような単純な表現で分かったつもりになって、それを金科玉条のようにしてしまうことを好みません。(ヴァージョン1-「〈仏教3.0〉を哲学する P.33」より引用)』

    > 私が感じるには、ナマの命であった私を知ることにより、〈私〉は自然に深まるのではないか、ということ。
    > なので、〈私〉は各自が取り組めばいい課題であり、仏教や非二元などでは、普遍的なものを教えるに留まるしかないのではないか、という理解をしている。

    なるほど!それは気付きませんでした。
    あと、minoriさんのレスに触発されて思ったのは。。。
    禅者が〈私〉をスルーしていたり、知らなかったりするのは、求道の目的でもある苦の滅却にあまり役立たない(全く役立たないということではないが、あまりにも遠回りというか本道ではない)からかもしれないとも思いました。

    パニチェ的には〈私〉は多くの人が見落としている実相でもあるんですけどね。
記事No.6201 のレス /過去ログ1より / 関連記事表示
削除チェック/



<< 0 >>

パスワード/

HOME HELP 新着記事 ツリー表示 トピック表示 ファイル一覧 検索 過去ログ

- Child Tree -