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■539  〈私〉はなぜ存在しないのか
□投稿者/ Danza Espanola -(2018/07/16(Mon) 21:37:14)
    こんばんは!


    > ここ聞きたいんですが、〈私〉は在るがゼロ並ぶあ、何か在りますか?それとも何にもないですか?
    > 何にもなければ世界を知覚あるいは認識している主体もなくなり、世界もなくなりませんか?

    今や感覚だけでなくロジックとしても〈私〉は在りません。もちろん「私」もありません。世界の知覚は鮮明に在り、純粋認識ではなく、意味も価値も色づけられた世界が一面に広がっています。はっきり断言します。〈私〉は存在しない。

    マルクス・ガブリエルは『世界はなぜ存在しないのか』という著書で一躍有名になりましたが(今年の初めに読みました)、私は、『私はなぜ存在しないのか』というロジックを一冊分くらいの量で説明できます。有名になりたくないので書きませんが(苦笑)

    そもそも、「〈私〉を対象化すれば〈私〉は変質する」と頑強なまでに主張し私に教えてくれたのはパニチェさんではありませんか。「〈私〉は在る」というのは特に強い〈私〉の対象化(実在化)に他なりません。パニチェさんも以下のように同意してくださっております。

    >>「先言の〈私〉」の〈私〉はこの文章に於いては対象化されていることに間違いはなく、〈私〉を「A」や「これ」に替えたり、言葉を使わなくても自分を指さすことや頭の中で指し示すことでも、いずれも対象化されます。
    >
    > 上記はその通りです。


    いまや立場は逆転し、私の方がパニチェさんに「〈私〉を対象化してはならない」「対象化し変質した〈私〉の存在など無い」と言わなければならなくなっているのも面白い現象です。

    徹底しているのでカニッツアの三角形でさえ対象化になります。
    この方向へ私を意識付けしてくれたのはパニチェさんであり、本当に大感謝しているところです。


    > 「われ思う故にわれあり」の“われ”は言語によって成立する“われ”だと思うのです。所謂“物心”がついた以降。
    > でも言語学習を可能とする主体は言語に先んじて在るわけで、不特定多数の“われ”が言語によって〈私〉になることはありえない。何故、ありえないかは言語では説明できそうにありません。

    言語をもたない猫や犬も知恵を使うことができ、言語が理解できず表現もできない知的障碍者の方々も(言語を使える人々に比べたら少ないですが)知恵を使うことができると私は認識しています。また言語習得以前の生後0歳児も、言語に寄らずに世界の意味付けと価値付けを始め、思考し少しの知恵を使って活動を始めていると、これも私の認識ですが、パニチェさんとは異なるようです。他者と認識が異なっても私的には全く問題ないのですが、パニチェさんの論拠が普遍性をもたないことの主張だけはしておきたいと思います。デカルトの「われ」については異論というか異解釈が私にあります(これは試論で触れます)。


    > 「〈私〉が在る」が得心できているなら、私が言わんとしていることとズレていることが理解できるというのであれば分かるのですが、ダンザさんの場合は亘時〈私〉が在るはゼロにもかかわらず理解できると言えるのか、ここのところも不思議です。言葉で説明できそうなら、ここのところをもう少し詳しくお願いします。

    上記等の枝葉の議論が終わり次第、明快に説明しようと思います。
    ニーチェの「自分の認識を伝えるやいなや、人はもはやそれを十分に愛さなくなる」との訓戒に従い、未だ一語のメモもアウトプットしていない状況です。もう少し愛する時間をください。一つの小さな試論を書きますので。


    > 比類がないのは先言だから、先言だから比類がないってことになると、後者を主たるテーマにしていることになるんでしょうか。自分でもよく分かりませんが、感覚的には「比類なき」と「先言」は私の場合は同等です。

    この点も枝なのですが、「比類がないから先言だ」にはならないと思うのです。ゆえにパニチェさんは「先言」を土台にしていると私は解釈しました。価値の同等については了解しました。


    > 腑に落ちたきっかけというか、どういうプロセスを経て腑に落ちたかよかったら、教えて下さい。

    腑に落ちたプロセスとしては、まず、睡眠中かもしくは起きたその場での閃きです。その閃きによって、この三週間ほど学んできた、デカルトの言説、カントの言説、フッサールの言説、大森荘蔵の言説、竹田青嗣の言説、岩波哲学思想事典の数々の知見、その他さまざまな無意識内においた情報がパラパラと組み合わさり一挙に構造化されたイメージです。閃き自体は、閃きとしか言いようがありません。

    その構造化されたものに手直しを加えながら、ある大哲学者がどう言っているのか確認をとったところ(たぶん彼はどこかに書いているだろうと思い)、案の定言及しており、私の認識の前を歩いていました。圧倒的に敵いませんね。

    パニチェルームにあるウィトゲンシュタインの言説についても、ウィトゲンシュタインが言語の限界は世界の限界だとした箇所で、なぜウィトゲンシュタインが限界としたことを、私は限界とはしなかったのかについても明快に説明できると思います。(論拠の資料はとれますが、それは大量の労力と時間がかかりそうなので今は現実的ではありません)。しかし概略で、おそらくパニチェさんもロジックに納得してくれるのではないかと推測しています。

    「愛してる」と「愛している」の語感の違いを説明できますか?


    > はい、何か大上段に構えた物言いになるので普段は控えてはいるのですが、正直に言うと。。。
    > 「あらゆる論」「思想哲学」「脳科学も含めた科学的知見」「宗教」は大事の前の小事だと思います。

    いいですね!
    手順を踏んで、できるだけテーマを分散化しないように気をつけて挑みたいと考えております。個人的にはまず、哲学の双璧である存在論と認識論を手段化します。


    > ほぉ〜。やっぱそうなんですかねえ〜。私は懐疑的です。^^

    「意識」関連のテーマについては別の論議としてやりましょう!


    > 空中をすっ飛んで遥か先にワープするのはダンザさんの魅力です。同じならむしろ先に進みにくいでしょう。
    > 美学に関して除くことは私も同じですし、よろしくお願いします。

    私の変な思考のしかたと変な性格をご理解くださり恐縮です。
    こちらこそよろしくお願いします。


    > PS.誤字が多くてすんまそん♪^^

    気にせずこのままいきましょう!

    >〈私〉は在るがゼロ並ぶあ、→ 〈私〉は在るがゼロならば、

    この程度の変換は朝飯前でなんの障害にもなりません!

    参考記事:『間違いを消さない教育で身に付くものとは?』
    ttps://toyokeizai.net/articles/-/178596


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