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■512  Re[5]: 〈私〉について
□投稿者/ パニチェ -(2018/06/24(Sun) 20:38:32)
    2018/06/25(Mon) 21:13:40 編集(管理者)

    以下はdanza_espanolaさんからの返信(2018/6/24, Sun 06:24)

    > 私が考えているのは存在において自他、この場合は〈私〉と他ってことね、存在自体や存在様相が根本的に異なることからして、日常的に認めている他我とは存在様相的には物と同じになる。真の存在と呼べるものは〈私〉しかないから、仮象として認めるみたいなことになるかな。

    言いたいことは分かっているつもり。
    そのうえで質問します。(私も一緒に考えたい)
    「物理的な他人」と「”我”をもった他者」と「他者の”我”自体」、それぞれを相対比較した、パニのいう存在様相的な相違性についての見解を聞きたい。

    >> 他我問題はおくとして、独我論的モードで言えば、すべては表象(カント的表象)になる。
    > 全てというのは〈私〉以外ってことかな?

    ここは深めたい部分でもあるので(深めたい理由もあるので)、メール交換でなく他でやるということであればそちらで応えたい。
    もちろん、メール交換でも全然OKです。

    > これね、ゴウさんのロジックもそうやった。
    > あの人は底が抜けてる(見証)。で、〈私〉は真我であり、真我は上記のようなものらしい。
    > 今回のダンのレスで思い付いたんだけど、〈私〉のいる位置ってのは円錐の先端のような尖ったイメージではなく球面(底)のようなものではないかと閃いた。
    > これってビッグバン宇宙論の特異点を避けるためのモデルと同じになる。球の底ならダンが言うように最終的には球体そのものとなるかもしれん。

    私の拙いロジックがヒントになったのなら嬉しい。
    ここは、「表象」の立体構造を可能とするところだと思う。

    >> ただ、独我論の他我を認めないということについて言えば、意味や価値のすべてを自分自身で創造したという点で無理があると思うんだけどど うだろう。
    > ごめん、ここもうちょっと詳しくお願いします。多分、読み取れてないわ。

    独我論モードにおける表象について、現在にかんする感覚的な実在表象ではなく、
    ここでは、記憶を基にする内側から湧き上がってくる表象のほうを対象にします。
    独我論においても、「自我の成り立ち」「過去の自己と現在の自己との同一性」といった過去との関係は「無かった」とは言えないし。
    「自分のルーツや自分が自分であるというアイデンティティ」、「社会が”我”に与えた様々な意味」、「価値への欲求」「他者への感情」など、
    避 けては通れない哲学的な問題の数々が横たわっていると思うわけです。
    そのひとつひとつにたいして、他者の「自我」のかかわりなしに、自身の自我の形成が為された、自我が他者に反応する、とは言えないのではないか。
    独我論を強引に、今だけである、表面上の現象だけである、とするのならば、あまりに浅く軽くなってしまうしそうではないのではないか。
    ということで、他我を認めない独我論は無理があるんじゃないかと考えているということです。

    > これも同意。独我論は哲学的テーマであって、日常的なテーマとはフィールドが違うんやろね。
    > で、もってさらに純粋な独我論(永井的には“独在論”と呼んでる)は哲学ではなく見証悟道やと思ってるねん。
    > 言語的な追究には限界があり、直観と自己探究の道。

    日常的なテーマとはフィールドが違う、という感覚はわかるし同意できる。
    ただそのなかで、日常リアルを連想しつつ考察しているという事実もあるのではないだろうか。
    確かに言語的には限界があるのは同感だけれども、それでも、その限界まで本当にやり切っているかと言えばそうではないと私は考えています。
    徹底的に、ここが限界だと一時的にはそう思っても、なんとかして突破口を開いてやろうと。
    自己探求の道というベクトルはわかるけれども、私のベクトルはどうしても抽象論化へ向かい、内省的には厳しいところが正直あります。
    でもそれ は、同床異夢ではなく、異床同夢のようなものかと思っていて、だからパニとのレス交換が有意義なのだとも思う。

    >> 他我問題を熟考するためには自我についてもっと深く探究しなくてはならないなと思って、「自我とは何か」を新たに考え始めています。
    > 哲学と仏教と脳科学が合体するテーマやろね、面白いよ、最も身近で、かつ最も不思議なもの。

    岩波哲学思想事典の「自我」の項目によれば(長文で2000文字以上あるので引用はできないけれど)、西洋哲学の「自我」とインド哲学の「自我」には乖離があって、そのことを今、簡単に知ることが出来る我々は、先学の恩に報いるためにもステップアップした論理を建設していかねばならないのではないだろうか。少なくともその気概だけは持たないと先学に対して礼を失するように思っています。
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