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■31693  超越論的分析論Y−1
□投稿者/ うましか -(2023/07/10(Mon) 21:15:15)
    2023/07/10(Mon) 21:17:27 編集(投稿者)

    pipitさん、こんばんはー

    >ほんまにカントはすごい変◯やと思う..... ( No.31664  pipitさん)

    カント先輩は、、、

    すごーい\(-o-)/変○だー


    *******

    T 超越論的原理論
    第二部門 超越論的論理学
    第一部 超越論的分析論
    第一篇 概念の分析論
    第一章 全ての純粋悟性概念を発見する手引きについて

    □全ての純粋悟性概念を発見する超越論的な手引き
    第二節 (第九項) 判断における悟性の論理的機能について

    *******

    ◆4 判断の様相は、判断の全く特殊な機能であって、この機能は判断の内容には何一つとして寄与せず、(なぜなら量、質及び関係以外には、判断の内容を決するものはもはや何も無いからである。) 思考一般との連関における けい辞〔Copula〕の価値だけに関わるという特質をそれ自体で持っている。
    蓋然的〔Problematische〕#サ断〔AはBかもしれない〕は、肯定または否定が、単に
    可能的〔moeglich〕(任意的〔beliebig〕)とみなされるときの判断である。
    実然的〔Assertorische〕判断=kAはBである〕は、肯定または否定が現実的〔wirklich〕(真〔wahr〕)とみなされるときの判断である。
    確然的〔Apodiktische〕判断=kAはBでなくてはならない〕は、肯定または否定がそこでは必然的〔notwendig〕≠ニみなされる判断である。〔註*1〕

    *1 註: あたかも思考は、第一の場合には悟性の機能であり、第二の場合には判断力の機能であり、第三の場合には理性の機能であるかのようである。これは後になって初めてその解明が期待される注意である。

    それで、それらの関係が仮言判断〔もしAがBなら、CはDである〕を形成する二つの判断(前件antecedensと後件consequens )、同じくそれらの相互作用によって選言判断が成立する諸判断(諸選言肢)は、ことごとく蓋然的でしかない。
    前述の実例〔「完全な正義があるならば、常習の悪人は罰せられるだろう」〕においては、「完全な正義がある」という命題は、実然的に主張されているのではなく、誰かがそう想定することが可能であるような一つの任意的な判断としてのみ考えられているのであり、ただ後件のみが実然的なのである。
    だから、そうした判断は明白に偽でもあり得るが、しかし蓋然的に解すれば、真理を認識するための条件でもあり得る。
    同様に、「世界は盲目的な偶然によって現存する」という判断は、前述の選言判断〔「世界は盲目的な偶然によって現存しているか、さもなければ内的な必然性によって現存しているか、さもなければ外的な原因によって現存しているかである」〕においては、蓋然的な意味しか、つまり誰かがこの命題を多分一瞬は想定するかもしれないという意味しか持たないが、しかし(私たちが取り得る全ての道のうちで、この道は誤っていると明記するように)、真なる命題を見出すのにも役立つのである。
    それ故、蓋然的命題〔「AはBかもしれない」〕は、単に論理的可能性(客観的ではない可能性)を表現するような命題であり、換言すれば、そうした命題を妥当せしめる自由な選択を表現するような、そうした命題を悟性の内へと単に随意に取り入れることを表現するような、そうした命題である。
    実然的命題〔「AはBである」〕は、論理的現実性または真理について主張するものであって、それは、例えば、仮言三段論法において、大前提における前件は蓋然的に現われるが、小前提における前件は実然的に現われ、だからこの命題は悟性の諸法則に従って悟性と既に結びついているということを暗示しているような命題である。
    確然的命題〔「AはBでなくてはならない」〕は、実然的命題を、悟性自身のこれらの諸法則によって規定されたものと考え、だからア・プリオリに主張するものと考え、このような仕方で論理的必然性を表現する。
    ところで、この場合全てのものは順次、悟性と同化し、かくして、まず或るものが蓋然的に判断され、ついでそれがおそらく実然的に真とみなされ、最後に、悟性と離れがたく結合しているものとして、換言すれば、必然的で確然的なものとして主張されるので、様相のこれら三つの機能はまた、思考一般の三つの契機とも名づけられ得るのである。

    --- No.31639 からの続き ---

    □全ての純粋悟性概念を発見する超越論的な手引き
    第三節 (第十項) 純粋悟性概念またはカテゴリーについて〔Von den reinen Verstandesbegriffen oder Kategorien〕

    ◇ 一般論理学〔Die allgemeine Logik〕は、既に何度も言ったように、認識の全ての内容を捨象して、どこからにせよ他所から表象が己に与えられることを期待するのであって、かくしてその表象はまず概念へと変ぜられるが、このことは分析的に〔analytisch〕行われる。

    ◇ 他方、超越論的論理学は、ア・プリオリに提供された感性の多様なものを持っているのであって、この多様なものを超越論的感性論は、純粋悟性概念に素材を与えるために超越論的論理学に提供したが、この素材が無ければ超越論的論理学は全ての内容を欠き、従って完全に空虚となるに違いない。

    ◇ ところで、空間と時間は、ア・プリオリな純粋直観の多様なものを含むが、にもかかわらず私たちの心がその下でのみ諸対象についての表象を受け取り得るところの、私たちの心の受容性の諸条件に属しているのであり、従って、それらの諸条件はそれらの諸対象の概念をもいつでも触発しなければならない。

    ◇ しかしながら、私たちの思考の自発性は、この多様なものが、まず或る種の仕方で、見渡され〔durchgegangen〕、受容され〔aufgenommen〕、結合され〔verbunden〕、かくしてこのことから一つの認識が作られることを要求する。この働きを私は綜合〔Synthesis〕と名づける。


    † 原佑訳上巻、p.220〜p.221参照。
    † その他に、中山元訳2、p.66〜p.67、石川文康訳上巻、p.132〜p.133を参照。
    †≠ナ囲まれた言葉は、カントが『純粋理性批判』文中で強調したものです。
    † 翻訳はしますが、◇〜は私が便宜上用いた区分けであり文章は原文・訳文の通りではありません。
    † 文中〔〕内は私による挿入、*1、*2〜や、※1、※2〜は私の覚書とします。これらは後に訂正、削除、修正等することがあります。
    † ◆〜は原典における段落とします。

    *******

    Y−1 No.31693
    X−4 No.30943、X−5 No.31146、X−6 No.31639
    X−1 No.30542、X−2 No.30550、X−3 No.30874
    W−1 No.30139、W−2 No.30154、W−3 No.30529
    V−1 No.29992、V−2 No.30063
    U−1 No.29963
    T−1 No.29833、T−2 No.29850

    *******

    第一部 No.29833,29850
    第一篇 No.29963
    第一章 No.29992,30063
    第一節 No.30139,30154,30529
    第二節 No.30542,30550,30874,30943,31146,31639
    第三節 No.31693
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