| こんにちは〜
>>>> ・・・ とするとパニチェさん的には、全体としての私は存在しないということですか? 正直言って、私も宇宙=私は最近疑問に感じてきています。 >>> そうです、全体としての私は存在しませんし、それどころか〈私〉の存在は誰(他者)も何も(事物や現象)存在しない、
>>> または並び立つことができない地点に、ただ自分だけが存在するという意味で独我論的です。
>>個々が個々として存在するということですよね?
> え〜っと、論理的な帰結としては個々が個々として存在しているということになるんですが、厳密には〈私〉以外の存在については不可知です。存在の仕方が全く違うというか、同じように存在してるんでしょうが、それなら〈私〉と同じになってしまい。やっぱり他者にないものが私にはあるから「私を私だと識別できる」わけで、それを〈私〉と表現しています。
>>ということは宇宙の開闢前、ひとつの量子が単独で量子としてあった情報が、もつれ関係もなく、すべて、例えばパニチェさんの<私>の意識ということでしょうか? あの眼のイラストを見るとそんな感じを受けるんですが、そうじゃないのでしょうか?
>>つまり・・・・<私>の意識はひとつの量子情報に詰まっているということですか? 教えてください。
> 〈私〉は上記で述べたように空間的には他者や事物が並び立たない地点に存在するという意味で独我論なんですが、時間的にも過去や未来というものがなく、ただ今だけなんですね。
[今]のみ=未来永劫なんでしょうね、おそらく。ピピットさんとパニチェさんの対話で、感じたのですが、 運動だけがある・・ということなんでしょうか?
とすると・・・その運動が/流動「私だけのもの」と感じさせるものはなんでしょうか?
> 知識的には、というか想像すると、梵我一如なら、時空(時間&空間)的にはフローラさんが指摘されるように自己(=宇宙)に集約されるんだと思います。
私は自己=宇宙は、非常に懐疑的になりました(^^;。 やはり量子情報が引っかかっているんです。
> ストレートに返信できなくて、すんまそん♪^^;
返って色々とありがとうございます♪♪
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