| パニチェさん、フローラさん、こんにちは (^O^)/
フローラさん、イギリス大変ですね、おつかれさまですm(_ _)m 日本も、全然他人事ではなくなってきました。 人類が理性的に協力しあって、なんとか乗り越えてほしいですね どうぞご無事であられますように
パニチェさんへ
> 以下、〈私〉についてカキコしてみます(原理的には言葉で記述できないのですが。。。「 」内は永井均氏の著書「世界の独在論的存在構造」の表現を引用しています。) > > 多くの自我意識がある中で、どうやって私は私であることを迷わずに識別しているのか? > 「その目から現実に世界が見え、その体だけが叩かれると実際に痛く、その体だけを直接動かすことができる」あるいは「現実に物が見え、音が聞こえ、現実に思考し、想像し、思い出したり、予期したりできる」からである。<
> ところが万人がそのようにして自意識を識別している、または識別するまでもなく現にそうであるから他の自意識と混同することがないとすれば、また同じ問い「多くの自我意識がある中で、どうやって私は私であることを迷わずに識別しているのか?」に舞い戻ってしまう。 > > この循環は「他者と私はある意味で全く同じ種類の存在者であるにもかかわらず、なぜか他者には決定的に欠けていて私には決定的に存在する何かが確実にある」というこで断ち切ることができる。 > それを万人に通用する(万人が一人称として使用する言葉としての)「私」と区別するために〈私〉と表記する。 > > やっぱ分かりにくいですかねぇ〜。^^; <
自分の自己意識は直接実感してるけど、 他者の自己意識は推測ですよね?
確証は、認識システムの独在までしか無理、ということかなぁ
この現象が生じてること、が、この現象を生み出しているシステムが在ることの、直接証明。
今、実感しているこの固有の認識システムが在ることが〈私〉かな、と思いました。
全然違ったらすみませんm(_ _)m
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