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■2539  Re[57]: 個性原理
□投稿者/ パニチェ -(2020/03/29(Sun) 08:46:12)
    2020/03/29(Sun) 09:37:35 編集(投稿者)

    No2538に返信(restさんの記事)
    > 社会哲学というべきかもしれないが個性原理というのがある。個と類の関係を示したものであるが、これを初めて世に問うたある書物は注目されることもなく異端の書として黙殺された。その書物によれば個性原理とは「個性的結合は類的対立を同時に引き起こす」というものである。端的にいえば個性の違いを尊重しあう関係では同時に個性の似た者同士で対立が生じるというものだ。市場社会では同質の商品を取り扱う類似企業は対立・競争関係になる。しかし質の異なる商品を扱う企業間に競争はなくむしろ親和的関係である。
    > 「私」という個別的存在が「他我」と共通の類似存在と意識するとたちまち競争・対立関係になり、相手をパージするようになる。ところが相手をまったく異質な存在だとみれば対立は起こらない。フッサールのモナド論は相手が類だから間主観が存在するのだが、まったく違う個性的存在とすれば間主観性は成立しない。そうなると独我論的世界になる。あるいは他我を自己と違う個性的存在とみて親和的な繋がりを認めるようになる。

    概ね同意です。

    日常的には自然的態度をベースとして生活していても、人は絶対的に孤独であり他者から隔絶した存在であるという独我論的な視座を根底としている人の方が他者を尊重し思いやりの心をもって優しくなれる。

    人は一人では生きられないし、他者や動植物も含めた自分以外の存在に支えられていることに変わりはないが、一人であり孤独であることは絶対的な事実である。

    他者の私秘性は認識の地平の彼方であるし、生まれる時には多くの人手に助けられるが、臨終の際には何ものも役立たず、家族に囲まれていても絶対的な孤独の中で一人で死にいく。

    人は絶対的に孤独であるからこそ、他者に優しくなれる。
    それはニーチェが批判するところの不十分な自己愛の変形である隣人愛や、場合によってはますます相手を弱体化させてしまう同情的な憐みではない。

    ポストモダンの行きつく先は独我論的視座ではないか。

    > 世の共同存在主流のなかにあって個性的つながりはもっと認められていいのではないか。ポストモダンもそういう志向性だったが失敗だったようだ。なぜかわからないが。

    ちなみにポストモダンが失敗に終わったとrestさんが判断される根拠というか理由を、もしよろしければ教えて下さい。
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