| こんにちは♪
〉> >仏道の自己を探究することとは隣接しますが、現段階のパニチェの意見では、たとえ覚者であろうと、極論すれば全能の神だろうと逃れようのない他者とは明らかに異なる〈私〉としての存在そのもの、あるいは存在のありようのことです。 > >自己が空であろうが分断化の結果であろうが、「〈私〉は他の誰でもなく〈私〉としてのみ存在している、あるいは〈私〉は〈私〉でしかありようがない」というような対象です。 >〉 >上記に関しては反論や異論も含め何なりとフローラさんの思うところをカキコして下さい。
》> 私は私でしかありえないという感覚は、どうしたら実感できますか?というのも実は私、ほかの人の記憶が混ざっているんじゃないかと思ったことが過去にあったものですから。デジャブではないです。
》もしよければ「ほかの人の記憶が混ざっているんじゃないかと思ったことが過去にあった」というのをもう少し詳しく教えていただけますか? 離人症(失礼!)っぽいところは私にはありましたが、それとは違いますよね?
以前ヤフーで愚さんにもお話ししたんですが、過去にて突然中国に行きたくなり、続けて3回行きました。最後の旅行で国内移動の飛行機が飛ばなくなり陸上移動になりましたが、20年ほどまえですのでGPS等あるわけがなく、道なき道をバスは10時間くらいかけて移動するんですが、迷った場所を私は知っていたんです。当然との場所は観光地でもなんでもなく、写真等も掲載されたことがないのだそうで、町の構造等を知っていた自体が非常に不思議なことでした。愚さんも不思議ですね・・・とおっしゃったのですが、私の中のほかのだれかが見たかったとしか思えませんでした。以後中国熱は冷めました・・・
≫「私は私でしかありえないという感覚(感覚という表現もなんか違うんですが…)」がどうしたら感じることができるかという“感覚”ではないんんですね。 >既にフローラさんはフローラさんの意識として存在されています。多くの自意識がこの世界にある中で何故かフローラさんはフローラさんに限定されている。 >例えて言うなら時間的に“今”と同じです。過去から現在まで無限とも言えるくらいの「今の瞬間」がある中で「今は今でしかありえない」…みたく、「私は私でしかありえない」
フローラを軸とした個体があり、そこに経験や知識が自分のものとしてお団子のようにくっついているからではないでしょうか? そして自分であるという認識は身体のような気がします。
≫> 上記とかかわってきますが、本当に私という個体独自のものなのかどうか、どうしたら認識できるのかわからないでいます。
〉個体独自でないとしたら、フローラさんはどのようにして(他者の自意識=他我ではなく)フローラさんの自意識を間違わずにあり続けることができるのでしょうか?
フローラという身体とそれとともに増えてきた経験と知識かな・・・・ 私の場合、ほかの人の記憶も混ざっているような気がして・・・
≫> つらつらと考えてみたのですが、やはり量子のもつれにたどり着いてしまうんです。安直かもしれないけれど。一つは宇宙としての私、そして今の個体である私・・・ 〉> パニチェさんもご経験なされたように、わからない自分がいるけど、それは私である、ということならば、そういう感覚がもつれ関係にある量子と関係があるのではないかな?と思いました。 >〉 本当に不思議な感覚で、私であって私ではない、なぜか時空を超えた感覚でもありますよね、一方ではフローラという個体でも自分もある・・・・ > 思ったまま書いてみました。
>時空を超えた感覚というのがパニチェ的には世界の外あるいは接点にしか存在しないってことになります。 >で、他者とか断絶しているので、そこにはもつれは感じられず、独我論的な〈私〉や地点となります。
私のように混線なさっていないのですね・・・ とするとパニチェさん的には、全体としての私は存在しないということですか? 正直言って、私も宇宙=私は最近疑問に感じてきています。
〉> ほかの方々も参加なさるといいですね!
>エフニさんは私より説明が上手なんですけどね。 遠慮して参加されないのかも。。。^^
遠慮って、私をたたき台にしてほしいざんす!^^
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