| こんにちは
コロナウィルスで私のいる国でも非常事態を出しまくっています。 レストラン/パブ/劇場/等室内でのイベントがメインのところはすべて閉鎖、カフェ等はレイクアウェイだけになりました。 日本は人口密度が高いわりに、うまくコントロールされていますね。こちらでは死者数すでに約300名です。
>仏道の自己を探究することとは隣接しますが、現段階のパニチェの意見では、たとえ覚者であろうと、極論すれば全能の神だろうと逃れようのない他者とは明らかに異なる〈私〉としての存在そのもの、あるいは存在のありようのことです。 >自己が空であろうが分断化の結果であろうが、「〈私〉は他の誰でもなく〈私〉としてのみ存在している、あるいは〈私〉は〈私〉でしかありようがない」というような対象です。 >上記に関しては反論や異論も含め何なりとフローラさんの思うところをカキコして下さい。
私は私でしかありえないという感覚は、どうしたら実感できますか?というのも実は私、ほかの人の記憶が混ざっているんじゃないかと思ったことが過去にあったものですから。デジャブではないです。
>少なくとも上記でフローラさんが述べる自分は他者の身体や精神や自我には属してないですよね? >それって他者にも当てはまるものではない(多分存在しているだろうということでは他者とも共通、あるいは当てはまるが、他者にはないものが自分にあるということ)ですよね?
上記とかかわってきますが、本当に私という個体独自のものなのかどうか、どうしたら認識できるのかわからないでいます。
>脳や身体に自分という自我が発生する。それは脳や身体の属性かもしれないし、水の流動性のように創発されたもの(意識の中身を物理的プロセスの結果というかオマケとする考え方)かもしれない。これらが解決されたとしても「私が何故私であるか」という問いは解決されない。
≫もしフローラさんが子供の頃に抱いた疑問「自分の身体=自分なのかそうじゃないのか」で言うところの「自分」とは万人に共通する(同じ構造であるから同じように発生しているであろう意識や自我)のことではないのなら、パニチェが探究している<私>と同じような対象だと思います。
>“それ”というか、今、ここにある“これ”は世界や他者からは隔絶したところに隔絶して存在するものです。
>別の言い方をすれば言葉では語れないことが多々あるということだと思います。 >その典型的なものが私という語で万人に共通する自我とか自意識、または一人称として変質してしまう(本来は語れない)対象です。言葉は他者とのコミュニケーションツールとしての機能がメインであるため言葉によって同一のものとして共有化されてしまう。とこが私という語の対象とするものは決して他者とは共有できるようなものではない。
言語以前、つまり思考以前の感覚ということですよね?では私は言葉では表現できません。 そういう意味で、共有できないゆえに個体独自というニュアンスでしょうか?
>≫ ところでパニチェさんはご自身がどこにおられると感じられますか?この世ではないということはこの宇宙では無いということなんでしょうか?
>結論から言えば分かりません。^^; >宇宙の“宇”は時間、“宙”は空間ということなので、時空の内に含まれるかと言えば以下のパニチェの疑問からすれば含めれることになります。 >『人類史500万年の無数とも言えるほど生じた鼠算の一点が何故〈私〉なのか?』
つらつらと考えてみたのですが、やはり量子のもつれにたどり着いてしまうんです。安直かもしれないけれど。一つは宇宙としての私、そして今の個体である私・・・
パニチェさんもご経験なされたように、わからない自分がいるけど、それは私である、ということならば、そういう感覚がもつれ関係にある量子と関係があるのではないかな?と思いました。 本当に不思議な感覚で、私であって私ではない、なぜか時空を超えた感覚でもありますよね、一方ではフローラという個体でも自分もある・・・・ 思ったまま書いてみました。
ほかの方々も参加なさるといいですね!
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