| こんにちは
愚さんを見てると以下のツァラトゥストラの冒頭のシーンとかぶります。^^
>『見よ!蜜をあまりに多く集めすぎたミツバチのように、わたしは自分の知恵に飽き果てている。わたしは差し出される手を必要とする。わたしは贈与し分与したい、人間たちのなかの賢者たちが、いま一度その愚かさを、そして貧しい者たちが、いま一度その豊かさを、喜ぶようになるまで。そのために、わたしは深みへ降りて行かなくてはならない、おまえが夕方、海の背後に沈み行き、なお外界に光をもたらすとき、するように。おまえ、溢れるほどの豊かな天体よ!わたしは人間たちのところへ下って行こうとするのだが、この人間たちの呼び方によれば、わたしは、おまえと同じように、没落しなくてはならない。(ツァラトゥストラの序説1より)』
そうですね。彼のウェッブサイトやユーチューブ等を見ていますと、タブーとされてきた、禅のイメージ付等もなさったりして、全く別のアプローチをなさるようですね。宗教は形而上から形而下へ・・・ということなんだと思いますが、彼はおそらく個々の身近な問題(形而下)から、うまく行けば、祖師さんではないけれど(!)絶対真理(形而上)へ持っていきたいのではないかと感じます。タブーも何も人間が決めたことなので、すべてをぶち破ったらいいと思っています。愚さん、ひたすら元気そうですね^^
PS.お話はちょっと戻るんですが、N.ボーアも東洋哲学に傾倒していたようですね・・ |