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御子柴善之泉:超越論的感性論 解説9 |
□投稿者/ うましか -(2022/06/11(Sat) 13:14:11)
| 2022/06/11(Sat) 13:16:05 編集(投稿者)
pipitさん、こんにちはー
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御子柴善之『カント 純粋理性批判』角川選書(シリーズ◆世界の思想)
https://www.kadokawa.co.jp/product/321707000036/
p.84〜p.106、「第四章 論理学の外部に位置づく感性論 − 超越論的感性論」を読んでいます(・∀・)
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◆第四章 論理学の外部に位置づく感性論 − 超越論的感性論 ※以下■=内容の見出し(本文では〈〉で表示)
■感性論と美学 ■直観と感性 ■感覚と現象 ■現象と形式 − それを取り出す手順 ■外的感官と内的感官
■空間とはなにかを究明する
・空間は私たちが自分の外にある様々な物を経験したことから抽象した経験的な概念ではない。 → なぜなら、私たちはどのような外的経験においても、既に空間を根拠にしているから。
・空間はア・プリオリで必然的な表象である。 → なぜなら、空間無しにいかなる外的現象もあり得ないから。
・空間は、そもそも概念ではなく純粋直観である。 ・私たちは様々な空間を意識するが、どの空間も「一つの空間」の中の一部分として表象する。 ・その「一つの(一なる)空間」に私たちは直接関係しているから、空間は直観である。
・そうした「一つの(一なる)空間」は「与えられた無限の量」として表象される。 ・私たちに外的表象が与えられるとき、それとともに空間がその形式として与えられる。空間はまさに純粋直観である。
・私たちは日常、空間をア・プリオリな純粋直観などとは考えていない。 ・だが、そう考えないと成立しない学問がある。それが幾何学。←数学でのア・プリオリな総合的判断
例)「三角形の内角の総和は二直角である」という認識
・この認識を得るために私たちは三角形を描くが、経験的な直観では三辺をなす直線が曲がっていたりと、実にいいかげんである。
・幾何学が行えるのは、純粋直観を根拠において、そこに三角形を描き出すから。
■空間の理解から帰結すること
・カントは、空間を純粋直観として、また現象の形式として理解した。→私たちの普段の視点からの変更
・普段の私たちの視点 …
例)自分の周りに自分と無関係に空間が広がっている 例)自分と物とのあいだや物と物とのあいだに空間が広がっている
・これに対してカントは、「空間は私たちの認識主観の能力である感性の形式」だと理解した。
・以上の理解から、帰結する二つのこと
@ 空間は、決して何らかの物自体の性質や相互関係にある物自体を表象するものではない。空間は、対象そのものに付着しているような物自体の規定ではない。というのは、物自体が存在するのに先行しては、そうした規定(空間)は直観されえないから。
A 空間は、外的感官のすべての諸現象のたんなる形式である。それは感性の主観的な条件であり、その下でのみ私たちに外的直観は可能である。 → ニュートンの「絶対空間」論に対するカントの否定。… ニュートンはその中で運動する物体と無関係に、絶対的に実在するものとして空間を考えた。これなら絶対的な空間はア・プリオリなものとして理解できるが、そんな絶対空間はどのようにしてあるのか?(躓きの問い)
【うましかメモ】 (感性の主観的な条件「空間」a) 感性 → 対象(物自体に付着した「空間」b) カントは「空間」をbのようなものではなく、aだと考えた(;´・ω・)?
・「諸対象によって触発される」という主観性の受容性は、必然な仕方でこのあらゆる客観のあらゆる直観に先行する。よって、
・「あらゆる現象の形式が、あらゆる現実の知覚に先立って(ア・プリオリに)、こころに与えられる」仕方、 ・「あらゆる現象の形式が、その中ですべての対象を規定されねばならない純粋直観として、あらゆる経験に先立って諸対象の関係の原理を含む」仕方
が理解できる。
■空間の経験的実在性と超越論的観念性
■時間とはなにかを究明する ■時間の理解から帰結すること ■時間の経験的実在性と超越論的観念性
■感性的認識一般の根本性質
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No.23249,23251,23262,23285,23322,23343,23472,23576,23859
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