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■23248  Re[82]:  「野生の思考」と「科学的思考」
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/05/14(Sat) 14:35:15)
    レヴィは、「野生の思考」を【具体の科学】とか【原始的科学というより「第一」科学】って言ってるから、「野生の思考」も「科学的思考」って見てるのかもしれない、というのをふまえたうえで、

    ここからは、レヴィが、「野生の思考」と「科学的思考」の違いについて記述しているところを書き写していってみます。

    No23070では、

                ********

    呪術と科学の第一の相違点は次のようなものになろう。

    呪術が包括的かつ全面的な因果性を公準とするのに対し、

    科学の方は、まずいろいろなレベルを区別した上で、そのうちの若干に限ってのみ因果性のなにがしらの形式が成り立つことを認めるが、ほかに同じ形式が通用しないレベルもあるとするのである。

    呪術的思考や儀礼が厳格で緻密なのは、科学的現象の存在様式としての因果性の真実を無意識的に把握していることのあらわれであり、したがって、因果性を認識しそれを尊重するより前に、包括的にそれに感づき、かつそれを演技しているのではないだろうか?そうなれば、呪術の儀礼や信仰はそのまま、やがて生まれ来るべき科学に対する信頼の表言表現ということになるであろう。

    この先駆けは、その性質から言ってときに成功することもあるが、それにとどまらず、さらに二重の先駆けとなりうる。
    一つは科学に対してであり、もう一つは、科学が相当に発達した段階に至らなければ自分のものとなし得ない方法および結果に対してである。

    すなわち人間は、感覚に直接与えられもの(感覚与件)のレベルでの体系化というもっとも困難な問題にまずとり組んだのである。科学はそれに対して長らく背を向けていたが、いまようやくそれを展望の中に取り入れはじめている。科学的思考の歴史においても、この先駆現象は何度も繰り返して発生している。…‥

                ********

    だった。
    わたし、「呪術的思考」を「野生の思考」って見てます。

    このつづきに、こう書いてあります。


                ********

    P17【だからといってわれわれは、呪術を科学の片言とする俗説(もっとも、それが位置する狭い展望の範囲では容認しうるものであるが)に戻るつもりはない。なぜならば、呪術を技術や科学の発達の一時期、一段階にしてしまうと、呪術的思考を理解する手段をすべて放擲することになるからである。呪術は本体的に先立つ影のようなものであって、ある意味では本体と同様にすべてがととのい、実質はなくても、すぐあとにくる実物と同じほどに完成され、まとまったものである。呪術的思考は、まだ実現していない一つの全体の発端、冒険、下書き、ないし部分ではない。それ自体で諸要素をまとめた一つの体系を構成しており、したがって、科学という別の体系とは独立している。この両者が似ているのはただ形の類似だけであって、それによって呪術は科学の隠喩(18−1)的表現とでもいうべきものになる。それゆえ、呪術と科学を対立させるのではなくて、この両者を認識の二様式として並置する方がよいだろう。それらは、理論的にも実際的にも成績については同等ではない(呪術もときには成功するので、その意味で科学を先取りしてはいるけども、成績という点では科学が呪術より良い成績を上げることは事実であるから)。しかしながら、両者が前提とする知的操作の種類に関しては相違がない。知的操作の性質自体が異なるのではなくて、それが適用される現象のタイプに応じてかわるのである。】

    訳注(18−1)
    〔隠喩(m&#233;taphore)――あるものを類似の属性をもった別のもので置きかえる比喩の基本形式。たとえば水泳に関して「金槌」や「トビウオ」、人間の性質について「コウモリ」や「狼」、ピチピチした少年たちを「若鮎」というの類。ここでは「一つのものの全体を他のものの全体で置きかえる」という点で、換喩(隣接性に基づき、たとえば原因で結果を、容器で内容を、部分で全体を示す形式)と対比されている、なお隠喩/換喩と、記号行動の基本的二軸である範例/統合との関係については訳注31−1参照。〕

    訳注(31−1)
    〔換喩m&#233;tornymie――結果を原因で、内容を容器で、心を表情で、全体を部分で、というように、関連する他のものに置き換えて表現する比喩の形式。たとえば「筆一本で生きる」「盃を交わす」「口が悪い」など(訳注18−1参照)。ヤーコブソンは記号行動の基本二軸である「統合」syntagmeと「範例」paradigmeに換喩と隠喩を対応させ、各種の記号体系の説明にこの比喩の二つの型の対立を利用した(『一般言語学』21項−44項、バルト『零度のエクリチュール、付・記号学の原理』157項以下、マルチネ『言語学辞典』の「話し相手の選択、範例論」の項、およびデュクロ、トドロフ『言語理論小辞典』の「連辞と範例」の項参照)。ヤーコブソンのこの考え方はソシュールに溯る。ソシュールは、統合と範例(ソシュールの用語では「連合」)の二面を精神活動の二つの基本形式と考えた(『一般言語学講義』172項以下参照)。レヴィ=ストロースはヤーコブソンにならって、統合――顕在的(項の間の関係が言表の中に実際にあらわれる)−−隣接関係――換喩、範例――潜在的(項の間の関係は記憶の中にあり、言表には出ない)――類似・選択関係――隠喩、という二軸の対比を『今日のトーテミスム』以来いろいろな問題に適用し、それを「換喩/隠喩」で表現している。Mythologiquesの各巻で頻繁に使られる。〕

                 ********

    つづく
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