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■20619  カントと数学
□投稿者/ pipit -(2022/01/31(Mon) 23:05:50)
    みなさま、こんばんは。
    ラッセルさんというワードに触発されて、前に間違って購入した古い雑誌を読んだ時から、一度まとめてみたいかも、と思ってた箇所の投稿にチャレンジしてみます。


    カントの『数学はアプリオリな総合判断』という言説は、非難の対象になり、カントは数学がわかってない、という意見は多数なのかもしれませんが、
    再考の余地もあるのではないか、と、思わせてくれた柄谷行人さんの記事を抜粋引用します。


    雑誌『現代思想』3月臨時増刊号カント(1994年)、p12-
    『(略)、カントのいう直観形式やカテゴリーが、ユークリッド幾何学とニュートン物理学にもとづくという誤解にある。
    (略)、彼自身ユークリッド-ニュートン的数学・物理学に背反するようなものを考えていたからである。
    彼は若い時から物理学者として非ニュートン的・非ユークリッド的な物理学を構想していた(2)

    註※(2)カントは二二歳のときに、大学卒業論文にこう書いている。《法則が変われば広がり(空間)も違った性質と次元数をもつことになるだろう。もしあらゆる可能な種類の空間ができれば、それこそわれわれ人間の考える働きによって企てられる最高の幾何学というものであろう。われわれにあっては、三次元以上の空間を表わすことのできないことを認めざるをえないけれども》(『活力測定考』第一章第十節)。

    (略)非ユークリッド幾何学にかんしては、一八世紀半ばにすでに知られていた。
    たとえば、〈三角形の内角の総和は二直角より小である〉という公理によっても、矛盾無く定理の体系を組立てることができることが示されていた。
    また、非ユークリッド幾何学を球面において考えることもすでになされていた。
    特に注意すべきなのは、G・マルチンが指摘するように、最初のこの主張者の一人ラムベルトがカントの友人だったことである。
    また、カント自身の物理学論文から見ても、彼が「批判」において、それを念頭においていたことは疑いがない。
     カントが基礎づけしようとしたのは、一八世紀に確固として成立していた数学や物理学ではない。
    (略)
    ユークリッドの『原理』にかんして、この公準が疑われていたのは、それが他の公準や公理から演繹的に導き出せる定理ではないか、ということである。
    非ユークリッド幾何学が示したのは、この公理が他から「独立」していること、さらに、それが直観的に自明なものではなく、別の公理をとっても矛盾が生じないということである。
    (略)
    ライプニッツのような考え方にとって、「公理」は邪魔である。彼は「公理」なしに済まそうと努め、結局徒労に終っている。
    (略)
    言いかえれば、カントが数学をア・プリオリな綜合的判断と見なすのは、このような「公理」のステイタスへの考察から来るのである。
    彼は数学を論理学に還元することに反対する。
    しかし、数学を分析的なものとみなす思考は、けっして死滅しない。その典型が、一九世紀末においてあらわれたフレーゲ・ラッセルらの「論理主義」(数学を論理学に還元できるという)である。』

    ※※※※※※※
    とりあえず途中まで(前半とします)引用しました。


    カントは数学とは、直観において概念を構成することと言ってたと思い、過去ログを検索したら、以下のものが出てきました。
    ーーーーーーーー
    No1799
    >用語説明
    まずは、『概念の構成』

    数学的認識は「概念の構成からの理性認識」by カント

    【構成】、カント自身が綴っていた単語は、【Construction】

    動詞は「konstruieren」コンストルイーレン、「構成する」。

    『概念を構成するとは、その概念に対応する直観をアプリオリに描き出すことである。(略)。私が三角形を構成するには、この概念に対応する表象を、ひたすら想像力によって純粋直観において描き出すか、また想像に従って紙の上に経験的直観において描き出すかであり、いずれの場合にも、まったくアプリオリで、そのための見本をなんらかの経験から借りてくることはない。描かれた個別の図形は経験的であるが、にもかかわらず、概念が持つ普遍性を損なうことなくその概念を表現するのに役立つ。(略)』byカント(B741.742)

    ☆冨田先生の解説☆
    どこに描くかというと、「想像」によって心の中に描く、というのがその一つです。
    カントが使っているのはドイツ語の「アインビルドゥング」(Einbildung)ですが、その中に含まれている「ビルト」(Bild)はまさしく「像」のことであり、「アインビルドゥング」は「心の中に像を作ること」、あるいはそのようにして作られた「心象」を意味します。<
    ーーーーーーーーーー

    最初に引用した柄谷さんの記述は、pipitの誤解かもしれない理解としては、

    たとえば公理に対する態度が、【自らの感性の直観形式に則った上に、自らの知性をもってして、(公理を)構成している】とするのがカントと言ってるのではないかなーと。


    (後半の引用部分の先出しですが、それに対して論理主義は、直観(感性的なもの)は必要なく、知性(思考形式)だけで、数学は確かなものとして成り立つ、としてるのかなーと。)

    明日以降、引用の後半として、ラッセルさんのカントへの批判、への、柄谷さんの再批判的見解などの箇所を引用しようと考えています。
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