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■16741  超越論的感性論 第一項:U−1
□投稿者/ うましか -(2021/09/25(Sat) 02:45:42)
    2021/09/25(Sat) 10:12:40 編集(投稿者)

    pipitさん、皆さん、こんばんはー

    *******

    ◆ たとえどのような仕方で、またどのような手段によって認識〔Erkenntnis〕が対象〔Gegenstaende〕と連関するにせよ、認識がそれを通じて対象と直接的に連関し、また手段としての全ての思考がそれを目標にして追い求めるものは直観〔Anschauung〕≠ナある。しかしこの直観は、私たちに対象が与えられる限りにおいて生ずるものである。だが、このことはこれまた、少なくとも私たち人間には、その対象が心〔Gemuat〕を或る種の仕方で触発する〔affiziere〕ことによってのみ可能である。私たちが対象によって触発される仕方によって、表象を得る性能(受容性)を、感性〔Sinnlichkeit〕≠ニ呼ぶ。それゆえ、感性を介して私たちには対象が与えられ=Aだから感性のみが私たちに直観≠提供する。しかし悟性をよって対象は思考され=Aだから悟性から概念〔Begriffe〕≠ェ生ずる。しかし、すべての思考は、まっすぐに(直接的に)であろうと、回り道して(間接的に)であろうと、或る種の徴表〔Merkmale〕を介して、結局は直観と、したがって、私たちにあっては、感性と連関せざるを得ない。というのは私たちは別の仕方ではいかなる対象も与えられ得ないからである。私たちが或る対象によって触発される限り、その対象が表象能力へと働きかけた結果は感覚〔Empfindung〕≠ナある。感覚を通じて、その対象と連関するそのような直観を経験的〔empirisch〕≠ニ呼ぶ。経験的な直観〔empirischen Anschauung〕の、規定されていない対象を現象〔Erscheinung〕≠ニ呼ぶ。

    ◆ 現象において、私は、感覚に対応するものを現象の実質〔Materie〕と名づけるが、現象の多様なものが或る種の関係において秩序づけられ得るようにするようなものを、私は現象の形式〔Form〕と名づける。諸感覚がそのうちのみ秩序づけられ、よって或る種の形式において配置され得るものは、それ自身これまた感覚ではあり得ないから、私たちにはなるほど全ての現象の実質はア・ポステリオリにのみ与えられてはいるが、しかし全ての現象の形式はことごとく心のうちにア・プリオリに感覚のために既に用意されていなければならず、だから全ての感覚とは別個に考察され得るのでなければならない。

    --- No.16495 からの続き ---

    ◇私は、感覚に属するものがそこでは何ひとつとして見いだされない全ての表象を(超越論的な意味において〔im transzendentalen Verstande*1 〕)純粋な〔rein〕≠ニ呼ぶ。そうすると、感性的な直観一般〔sinnlicher Anschauung ueberhaupt〕の純粋な形式〔rein Form〕は、心のうちでア・プリオリに見いだされるであろうが、現象の全ての多様なものは、この純粋な形式のうちで、或る種の関係において直観されるのである。感性のこの純粋な形式はそれ自身も純粋な直観〔reine Anschauung〕≠ニ呼ばれるだろう。

     *1 この"Verstand"は、ここでは意味(sense)と訳される。

    ◇それで、私が物体の表象から、悟性が物体について思考する、たとえば実体〔Substanz〕、力〔Kraft〕、分割可能性〔Teilbarkeit〕などを分離し、同様に、物体のうち感覚に属するもの、たとえば不可入性〔Undurchdringlichkeit〕、硬さ〔Haerte〕、色〔Farbe〕などを分離しても、こうした経験的な直観のうちからなお或るものが、すなわち拡がりと形態が、私に残存する。これらの拡がりと形態は純粋な直観に属するのであって、この純粋な直観は、ア・プリオリに、感官〔Sinne〕ないしは感覚の現実の対象がなくとも、感性の単なる形式として心のうちに生ずるのである。


    →原佑訳上巻、p.146〜p.147参照(※翻訳は参照するが、◇〜は私が便宜上用いた区分けであり文章は原文・訳文の通りではありません (;´・ω・))。◆〜は原典における段落とします。
    →今後、文中〔〕内は私による挿入、*1、*2〜や、※1、※2〜は私の覚書とします(後に訂正、削除、修正等することがあります。)。また≠ナ囲まれた言葉は文中で強調されたものとします。


    *******

    T−1 No.16440、T−2 No.16454、T−3 No.16495
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