| パニチェさん、こんばんは
> 他者を考慮に入れなくても名付けようがありません。 > 名付けるということ自体が一般化してしまう言語自体の機能というか特性によって、本質が削げ落ちてしまいます。<
名づけられないそれ、は、毎瞬違うものですか ?
わたし、昔、タクシーに座ってたとき、「あ、『座ってる』は、毎回違うんだ』と、 心に入ってきたことがあります。
そういうこと(毎回中身が違うということ)でもないのですか?
昨日のそれ、も、今日のそれ、も、一緒のことは一緒 ですか?
なんのことなのかなー
機能、を、指してるのかなー
>>独在論が本当の真実だったとき、パニチェさんしかこの世の中にいないのが真実だったとき、他人は関係ないとき、パニチェさんは自分に向かってそれを〈私〉と呼ぶような対象なのですか? > > 二点に分けて返信させて下さい。 > まず〈私〉に関しての独在論は真か偽かという話ですが現実論的(日常生活空間的)には偽です。 > 何故なら日常空間は言語空間でもあり、そのフィールドでは“無い”に等しいからです。<
日常空間では、独在論は偽、で、自分も他人も存在する、と考えている、ということですか? そして、偽、の理由は、言語空間のフィールドでは、《何が》無いに等しいからなのですか?
> 言語外の空間で真となり、これ以上というか、これ以外の実体や真なるものはありえません。<
言語外の空間、って何ですか? 感性により感じてるだけの世界、ということですか?
感じて現れてる世界が実体で真ということですか?
> で、パニチェ(紛らわしいの日常的に使う「私」のことを「パニチェ」と表記します)は自分に向かってそれを〈私〉と呼ぶような対象ではありませんし、呼ぶ必要もありません。 > 自分に向かって〈私〉と呼ぶ主体も〈私〉ですし、呼ばれる対象である〈私〉も〈私〉で〈私〉しかありませんから。<
認識システムのシステムも含めてるということですか?
わたしは、今、スマホの画面みてますが、 スマホの画面と名付ける、ある表象が、あります あ!ナーマ、ルーパ、(名色)かなぁ、ちがうかなぁ 対象、と、名付ける作用、合わせたものをおっしゃってるのかなぁ、わからないなぁ
> 添付した画像(マッハ的光景)の手間にある位置が独在論的〈特異点〉です。<
わたしが素直に、この絵のように見ると、手前にある位置は、《見てる私》になるんだけど、 パニチェさんは、どう表現されますか ??
|