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■11270  Re[15]: ロゴスという概念
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/03/01(Mon) 20:03:49)
    ■11269のつづき

    【さらにまた、ロゴスは見えるようにさせることであるゆえ、このゆえにロゴスは、真であったり偽であったりすることができる。だからまた肝要なのは、「合致」という意味での捏造(ねつぞう)された真理概念から解放されているということである。合致というこの考えは、アレーティア、すなわち真理という概念において、第一次的なものでは断じてない。アレーテウエイン、すなわち真理ヲ暴露スルコトとしてのロゴスの「真であること」とは、それについて語られている存在者を、アポファイネスタイとしてのレゲイン、すなわち語ルコトにおいてその存在者の秘匿性から取り出して、秘匿されていないもの(アレーテス)として見えるようにさせること、つまり暴露することである。同様に、「偽であること」を意味するプセウデスタイとは、隠蔽するという意味での欺瞞と同じこと、すなわち、或るものを或るもののまえに(見えるようにさせるという仕方で)据え置き、かくしてその或るものを、その或るものがそれではない或るものとして言いふらすことである。
    しかし、「真理」がこうした意味をもち、ロゴスが見えるようにさせることの特定の一様態であるゆえ、ロゴスは真理の第一次的な「在りか」としてけっして要求されてはならない。今日あまねく行われているように、ひとが真理を規定して、真理は「本来的」には判断に帰属するものだとし、そのうえ、このテーゼについてアリストテレスを引き合いに出すなら、こうした引証は正当でもなければ、また、なかんずくギリシア的真理概念も誤解されている。ギリシア的な意味において、しかも前記のロゴスよりもいっそう根源的に「真」であるのは、アイステーシス、すなわち感覚である。つまり、或るものを、端的に、感性的に認知することである。アイステーシス、すなわち感覚というものがそのつどめざすのは、おのれのイデア、すなわちおのれの特定対象、つまり、まさしくアイステーシスをつうじて、またそのアイステーシスにとってのみ、そのつど純正に近づきうる存在者である。たとえば、視覚が目指すのは色なのだが、そのかぎりでは、その認知はつねに真である。このことは、視覚がつねに色を暴露し、聴覚はつねに音を暴露するということにほかならない。最も純粋な最も根源的な意味においては「真」であるのは――言いかえれば、暴露するだけであって、したがってけっして隠蔽することができないのは、純粋なノエイン、すなわち思考スルコトであり、つまり、存在者そのものの最も単純な諸存在規定を、率直に眺めやりつつ認知することである。このノエインは、けっして隠蔽することはできず、けっして偽であることはできず、たかだかそれは、認知しないこと、すなわちアグノエイン、つまり端的に適切に近づく通路を欠くことに、とどまりうるだけである。
    純粋に見えるようにさせることを遂行する形式をもはやもってはおらず、提示するときにはそのつど他のものに頼り、このようにして或るものを或るものとしてそのつど見えるようにさせるもの、このものが、こうした綜合構造でもって隠蔽の可能性を引き受けるのである。だが、「判断の真理」はこうした隠蔽の反対の場合にすぎない――言いかえれば真理の幾重にも基礎づけられた現象にすぎない。実在論も観念論も、ギリシア的真理概念の意味を等しく根本的に取り逃がしているのだが、そもそもひとは、このギリシア的真理概念からのみ、哲学的認識としての「イデア論」といったようなものの可能性を、了解しうるのである。
    また、ロゴスの機能は、或るものを端的に見えるようにさせることに、つまり、存在者を認知させることにあるゆえ、ロゴスは理性を意味しうる(4)。またさらに、ロゴスは、レゲイン、すなわち、語ルコトという意味においてばかりではなく、同時に、レゴメノン、つまり、提示されたものそのものという意味においても用いられ、しかも後者は、ヒュポケイメノン、つまり、いかなる語りかけや論じ合いが行なわれるときでも、実際に存在しているものとして、そのことによってそのつどすでに根底にあるもの、そうしたもの以外の何ものでもないゆえ、ロゴスは、レゴメノンとして、根拠、すなわちラティオのことでもある。最後に、レゴメノンとしてのロゴスは、或るものとして語りかけられているものをも意味するゆえ、つまり、そのものと或るものとの関係において、すなわち、そのものが「関係づけられている」ことにおいて、看取できるようになっているものをも意味するゆえ、ロゴスは関係や比例という意味をもっているのである。
    「命題的な語り」のこうした学的解釈で、ロゴスの第一次的な機能を判然とさせるためには当面十分であろう。

    訳注(4)〔ドイツ語では「理性[Vernunft]」の語源は、「認知する[vernehmen]」である。〕


    以上で〜す。
    これについてのわたしのは後で。
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