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■11087  Re[44]: フィロソフィア
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/02/17(Wed) 20:09:27)
    ちょっと、カントから離れて、わたしのを。

    なんかさー、「哲学」ってかたくない?字からしてそう。

    で、〈私の生の意識(精神)のフィロソフィア〉の〈フィロソフィア〉なんだけど、じつはこれ、現象学からわたしに思われたことなのね。わたしが知りえた哲学者のなかで、いちばんわたしに親しいのはメルポンだって思ってる。っていうことで、ここでわたし物語ってるのかも?

    「哲学」ってなあに? から始まって、わたしいろいろ調べて見たのね。
    いわゆる哲学者たちのそれぞれの哲学っていうのがあるみたい。たとえばカント哲学とか言ったりしてる。当然フッサールやメルポンも、哲学とはこういうもの、っていうのあるけど、こういうのは後にしておいて、一般的に解説されてるわたしが得たのを、書きだして見る。

    わたしの参考書から、
    〔哲学philosophy
    世界や人生が全体として何であるか、どのような意味や目的を持つものかという根本的な問題を考える学問。哲学とは、日常生活で自明の前提とされている一定の世界秩序や価値体系を主だいとし、それらを自覚的・批判的に考察する。科学がさまざまな領域の対象を実証的に研究する専門的・部分的な知であるのに対して、哲学はそのような対象を包みこみ、我われがその中に生きている世界や人生についての全体的・包括的な知を求める。我われは世界のなかに生きているのだから、外から世界を一つの固定的な対象として考察することはできない。哲学はつねに対象的なものをこえて、対象があらわれる地盤となる世界や人生の根源に迫りゆく思索の中で遂行される。哲学は、概念的に固定できる対象の真理をこえ、各自がそのつど哲学する主体的な働きの中で、世界や人生の全体的・包括的な真理を探究するのである。哲学は古代ギリシアで誕生し、知恵(ソフィアsophia)を愛すること(フィロスphilos)という意味でフィロソフィアと呼ばれ、日本では明治時代に啓蒙思想家の西周によって哲学と訳された。〕

    その参考書のなかに、カントのもちょっとあったので、
    〔哲学すること
    カントは『純粋理性批判』の冒頭で、「人は哲学を学ぶのではなく、哲学することを学べるだけである」と述べている。哲学は過去の哲学の知識のたんなる集積ではなく、一人ひとりがみずから哲学する主体的な行為そのものである。過去に形成された哲学は、哲学することが一定の歴史的状況のもとであらわれた一つの形態であり、絶対的なものと固定されると非真理におちいる。哲学は、過去の哲学の概念を手引きにしつつも、それにとらわれずに各自が真理を主体的に思索する行為の中にある。〕

    ネットから、
    〔〈哲学〉という言葉は,明治初年の段階で,西周(にしあまね)によって,英語の〈フィロソフィーphilosophy〉の訳語として作られた。〈フィロソフィー〉は,ギリシア語の〈フィロソフィアphilosophia〉に由来し,〈知恵(ソフィアsophia)を愛する(フィレインphilein)〉という意味の言葉である。そこで西周は,周濂渓(れんけい)の〈士希賢(士は賢をこいねがう)〉(《通書》志学)にならい,賢哲の明智を愛し希求するとの意で,はじめ〈希哲学〉(哲智すなわち明らかな智を希求する学)と訳し,のちに〈哲学〉と定めた(《百一新論》1874)。…〕

    だって。

    わたし、「philosophia」を、日本語で「哲学」としないで、「知を愛すること」、「知ることを愛すること」、「智愛」ってすることにしちゃったよ。

    「哲学」、そもそも「哲」ってなあに?ってなるし、こうなっていくとますますごちゃごちゃになってく。だからわたし日本語で「フィロソフィア」って表記することにした。漢字で書くと「智愛」。意味は〈知ることを愛すること〉。
    なんで西周さんは、「智愛」っていう訳語にしなかったのかしらね?こっちのほうがわたしには身近に感じるし、科学もそのなかに入ることになると思うんだけど。

    っていうことで、
    わたしの〈私の生の意識(精神)のフィロソフィア〉は、〈私の生の意識(精神)を知ることを愛する〉っていうこと。言い方を変えると〈私の生の意識(精神)を知ることを欲する〉、もっとかんたんにいうと〈私の生の意識(精神)を知りたい〉。
    〈知ることを欲する〉っていうの、じつは、アリストテレスのから来てるのね。
    次はアリストテレスのを書いてみるね。
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