| カントの『純粋理性批判』の第二版の序論から、カント自身が【超越論的】という語句をどのような意味で使うのかを最初に説明した箇所を引用します。
wikiにリンクされてるページより原文(ドイツ語記号は入力できていません) 『 Ich nenne alle Erkenntnis transzendental, die sich nicht sowohl mit Gegenstanden, sondern mit unserer Erkenntnisart von Gegenstanden, insofern diese a priori moglich sein soll, uberhaupt beschaftigt. 』
( J. M. D. Meiklejohnさんによる英訳 I call all knowledge transcendental, which, ever dealt not so much with objects but with our cognition of objects, so far as this is supposed to be possible a priori.)
(カントの文章の中山元先生訳) 『わたしは、対象そのものを認識するのではなく、アプリオリに可能なかぎりで、わたしたちが対象を認識する方法そのものについて考察するすべての認識を、超越論的な認識と呼ぶ。』 『純粋理性批判1』中山元先生訳、光文社古典新訳文庫p57より引用
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この箇所を御子柴善之先生が解説された文章を引用します。
(御子柴善之先生の解説文章) 『認識はなにかの認識ですから、認識には対象があります。そうした対象そのものではなく、対象認識の仕方を対象とした認識、それもア・プリオリな認識仕方を認識するのが「超越論的」な認識です。 ここで言及される「仕方」という表現に注意するなら、「超越論的」と呼ばれる認識は、認識の対象ではなく認識の主観に向けられていることが分かります。 なお、私たちにとっての問題はすでに「いかにしてア・プリオリな総合判断は可能か」という問いにまとめられていますが、この問いに答えようとするとき、私たちが採用する哲学的態度が「超越論的」と呼ばれるのです。』 『カント純粋理性批判』御子柴善之先生著、p77.78より引用
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