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■10810  Re[17]: 本能と先天的
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/02/04(Thu) 18:11:29)
    デカルトさんのが、ひとまずになったので、ニーチェの、まえに途中になっていたことに戻って見ます。
    「哲学全般・・・」のところ、
    No10670で、パニチェさま抜粋してくれた「善悪の彼岸 哲学者の先入観について4」。
    で、わたしがNo10682で、
    >ニーチェは【最も誤った判断(それには《先天的》綜合判断も属する)】って言っているけど、これをわたしが言いかえると「《先天的》総合判断は、最も誤った判断に属する」ってなります。<
    って言って、ニーチェはどうして、カントの《先天的》綜合判断が最も誤った判断に属するって、見ているのかな〜?ってわたし思って、わたしがふと思ったのが、
    >「先天的」っていうのが問題なんかな?この「先天的」については「哲学者の先入観について4」の前の「3」から見て見ようと思ってます。<
    だったんだけど、どうして?っていうことについてちょっと考えていって見ま〜す。

    で、「善悪の彼岸 哲学者の先入観について3」を抜粋して見ます。
    【十分に長い間、虱(しらみ)つぶしに監視てきた挙句、私は自分に言うのだが、意識的な思惟の大部分をなお本能活動のうちに数えなければならない。しかも哲学的な思惟の場合でさえもそうなのである。遺伝や「生得性」に関して学び直したように、ここでも再び学び直さなければならない。分娩の作用が遺伝の進行や継続の全過程において問題とならないように、「意識している」ということも何か決定的な意味で本能的なものと対立したものではない。――或る哲学者の大概の意識的な思惟は、その本能によって秘かに導かれ、一定の軌道を進むように強いられている。あらゆる論理とその運動の外見上の自主性の背後にも、評価が、もっと明瞭に言えば、或る一定の生の保存のための生理的な要求が存している。例えば、確定したものは不確定なものより以上の価値があり、仮象は「真理」より以下の価値をもつ。このような評価は、われわれにとってどれほど重要な規制力をもっていようとも、やはり単に前景的な評価にすぎないもので、われわれの如き生物の保持のためにこそ必要な一定の《愚かさ》でしかない。もっともこれは、格別に人間が「事物の尺度」なのではない、と仮定してのことであるが…‥】(N-c)

    ここでは人の「意識」について語ってるとわたし思うんだけど、気になったのは【意識的な思惟の大部分をなお本能活動のうちに数えなければならない】っていうこと。
    「本能」っていうの、なんかわたし“生の欲望”や“自然的なもの”と近い感じがしてる。生の根源的なものみたいな。

    【或る哲学者の大概の意識的な思惟は、その本能によって秘かに導かれ、一定の軌道を進むように強いられている。】って言ってる。わたしこれを「意識において、思惟も、なにか本能的なものによって秘かに導かれている」って見たのね。

    ここでのわたしの問題は、このような〈本能的なもの〉と〈先天的〉っていうのがわたしのなかでどう結びついたのか、っていうこと。
    で、〈先天的〉っていうのが問題となるんだけど、これについてはなんかややこしくなりそうなので、あとで。
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