| 2016/11/13(Sun) 09:40:34 編集(投稿者)
久々にニーチェ絡みのレス交換ができて嬉しいです。^^
■No31に返信(ひよこさんの記事)
>>■No29に返信(ひよこさんの記事) > >>ニーチェの「弱者は死ね」とか言っている彼の恐ろしい面を全く抜きにして、
>>これってニーチェがどこで言ってましたっけ?
> 「アンチクリスト」を読むと、「弱者と出来損ないは滅びるべし」と言っています。
以下の箇所でしょうか?
『善とは何か?──権力《政治的支配のみを表す通俗の「権力」とは異なり、ニーチェに特有の形而上的概念で、「力」と訳してもよいが、自然的物理的力とも異なるので、敢えて「権力」に統一する》の感情を、権力の意志を、人間のうちにある権力そのものを高めるいっさいのもの。悪とは何か?──弱さに由来するいっさいのもの。幸福とは何か?──権力がしだいに大きくなる感情──抵抗を克服してゆく感情。満足ではなくて、より多くの力。総じて平和ではなくて、戦争。徳ではなくて、有能(ルネッサンス式の徳vitu《イタリア語で、卓越した男性的な美点》、道徳のくさみのない徳)。弱者と出来損ないは亡びるべし、──これはわれわれの人間愛の第一命題。彼らの滅亡に手を貸すことは、さらにわれわれの義務である。およそ悪徳よりも有害なものは何か?──すべての出来損ない的人間と弱者に対する同情的行為──キリスト教…(白水社版「アンチクリスト2」より)』
面白いのは、同じ箇所がちくま学芸文庫では『弱者や出来そこないどもは徹底的に没落すべきである。これすなわち、私たちの人間愛の第一命題。そしてそのうえ彼らの徹底的没落に助力してやるべきである。』という訳になってます。
「亡びる」と「没落」はニュアンス的に多少の違いがありますね。原語ではどうなってるんやろ。。。。
>「ツァラトゥストラ」もこの考え方がテーマになっていて、 >それを「道徳の系譜学」で詳しく説明していると思います。
ユダヤ教も含めたキリスト教的な価値観(善悪二元論道徳=奴隷道徳、本来個性的な人間を没個性化し、家畜化するような教義や、ダイナミックな生を委縮させ罪深いものとするような発想)を断罪してますね。その言い回しの中に、全知全能で唯一無二の絶対的な人格神を捏造した上で、これを拠りどころとするような依存心が強くルサンチマンの塊のような弱者を批判する意味で「亡びるべし」とか「没落すべき」と述べています。
> 現象学研究会の西研さんは、永劫回帰を受け入れられるか、受け入れられないかが、 > ニーチェの考える弱者と強者の境目なんだと言っていますが、 > これは違うと思います。
永劫回帰を受け入れられるかどうかが唯一の弱者と強者の違いだとは思いませんが、少なくとも永劫回帰(「悦ばしき知識 第341番」の悪魔による最大の重し)に「然り!」と答えれる人は強者だとは思います。
>ニーチェの言う弱者というのは普通の意味というか、 >胆力がない、勇気がない、臆病、気が小さい、 >そういう人を指して言っていると思います。
ほぼ同意です。 あと依存心が強いとか、飼い馴らされた人間とか、去勢とか、群れとか、同情深いなどなどですね。
|