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■31313  時さんへ
□投稿者/ パニチェ -(2023/06/26(Mon) 20:37:49)
    2023/06/26(Mon) 21:15:23 編集(投稿者)

    時さん、こんばんは。レスありがとうございます。
    質問に質問を返すことは非礼にあたるかもしれませんができるだけ質問に正確に答えたい故の確認ということでご容赦下さい。
    また返信が平日は出来ない場合もあり、土日にずれこむこともありますのでよろしくお願いします。

    No31301に返信(時さんの記事)

    > 以前にお話が噛み合う噛み合わないという事を書きましたが、考えるまでもなくこれは当然のことで、人により人生哲学として、信仰として、また、哲学的観点より参考にする仏典を原始系にするのか密教系にするのか、大乗系にするのか全てを網羅等々でも違うでしょうし、その内容を理解把握する個人の能力でも違うからです。昨日の対話では、仕事としてではなく信仰としてでもなく、人生哲学として(修正箇所です 自己探求として)の道具として仏典を学んでいるという事は、パニチェさんと私で共通していると思いました。

    現時点での私の場合は仏教や哲学、その他の興味あるジャンルは自己探究の道具といった意味合いが強いです。
    あと実践的な人生哲学としてはニーチェと仏教の複合体(劇薬であるニーチェを仏教で中和するというかなんというか、うまく言えませんが)です。

    > そして私の場合は、まずは原始のみに絞って実際に仏陀は何を教えたのかを知りたかっただけだという事を書いたと思います。原始だけに絞った理由は、絞らなければ後世の多くの人達(龍樹、親鸞、空海・・)の解釈が入り込み、その仏典中の道理としての仏陀自身の教えが浮かび上がらなかったからであり、原始に絞った結果、一応は何を言って何を教えたのかを知ることができたように思います。これはもちろん、私の人生において大きく影響を与えました。参考までに私が知る仏典は原始仏典のみで、長部経典、中部経典、相応部経典、増支部経典、小部経典で、この中の内容のみとなります。この仏典軍の日本語訳の大元は、https://tipitaka.org/です。

    了解しました。

    > ・パニチェさんが学んでおられる仏教は、一つの筋、体系として理解把握できる内容ですか?これは、大乗〜派ならば大乗〜派のみ、原始ならば原始のみという意味で、例えば、〜は〜だから〜なのですというロジックが成立するものですかという意味です。

    ここがよく分からないのです。「大乗〜派ならば大乗〜派のみ、原始ならば原始のみという意味で、例えば、〜は〜だから〜なのですというロジックが成立する」というところです。
    例えば「良いとこどり(私はこちらです)」でも「〜は〜だから〜なのですというロジックが成立する」場合もありますし、原始ならば原始に限定しても矛盾する教説もあるように思うので「〜は〜だから〜なのですというロジックが成立しない」場合もあるように思うのです。

    > ・それとも、多くの種類の仏典の中からの良いとこどりですか?すみません、良い表現が思いつきませんでしたが、これは、あるところは密教から、あるところは大乗〜派、あるところは原始からという意味です。この場合には、〜は〜だから〜なのですという全体としてのロジックが成立しませんね。

    私の場合はこちらですが、私が知るところの仏教は私なりに全体的なロジックとして成立しています。

    > パニチェさんも以前に書かれていましたが、自灯明法灯明の法灯明の元となる仏典の事をお尋ねしています。

    ここも少し分からないのですが自洲・法洲(自灯明・法灯明)は大パリニッバーナ経〔大般涅槃経〕からです。
    で、“自”“法”を諦かに極めるのが見性悟道だと考えており、この道具としてさまざまな仏典や哲学や他のジャンルを道具として用いています。

    結論を先に言いますと現在は禅定は実践していません。
    論理と言語と直観による見性悟道を歩んでいるつもりで、これが私のライフワークならぬライフホビーです。


    あとこれは情報交換と受け止めていただければ有難いのですが。。。
    仏典が文字として編集されたのは少なく見積もっても数百年の口伝の後です。
    当時のインドでは文字は主に商用として使われており「忘れないために書き留める」というものでした。
    釈尊の教えを書き留めるというこは身から離すということになり羅漢(結集に参加した仏弟子)は自らの身に付けるべきものという考えで文字には書き留めていなかったということらしいです。

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