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Re[59]: つれづれなるままに 22
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□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2026/03/08(Sun) 11:28:31)
| ひとまずわたしが調べて見てるのを書き出してくだけになると思うんだけど。
フッサールの「生活世界」について、「現象学事典」のなかからその一部を、 No45139で少し書き写したけど、もうちょっと書いとく。
生活世界 [(独)Lebenswelt(英)Life-world ] (Hu-L2)—――――――――――― ・@フッサールの定式によれば、生活世界とは「あらゆる個別的経験の普遍的基盤として・・・・いっさいの論理的能作に先立ってあらかじめ直接与えられている世界[EU38]あるいは「われわれの全生活が実際にそこで営まれているところの、現実に直観され、現実に経験され、また経験されうるこの世界」[Krisis51]のことである。 Aところがこの生活世界は近代科学の方法的操作を通じて二重に〈理念化〉されることにより、次第に隠蔽され忘却されてゆくことになる。 第一の理念化は、測定技術を理想的に精密化することにより、経験的直観の主観的相対を乗り越え、精密科学の概念によって規定された第一性質のみからなる「極限形態」としての世界をつくり上げる。 第二の理念化は、この科学的精密化の操作を色、音、味、温冷などの感覚的な第二性質にまで拡張して及ぼし、いっさいの事象間接的数学化を企てる過程のことである。これら二段階の理念化を通じて、いわゆる「自然の数学化」が完成する。その結果として、「〈数学と数学的自然科学〉という理念の衣は、科学者と教養人にとっては〈客観的に現実的での真の〉自然として、生活世界の代理をし、それを覆い隠すようなすべてのものを包含することになる。この理念の衣は、一つの方法にすぎないものを真の存在だとわれわれに思い込ませる」[Krisis52]のである。この「真の存在」と「一つの方法にすぎないもの」との取り違えこそが、フッサールの診断によれば、学問が人間性に対する指導力を失ったこと、つまり生の自己理解として学問の危機の原因にほかならない。 B科学的客観世界は、絶えず地平ないしは意味基底として機能している非主題的な生活世界を地盤にして、一定の主題的関心に即して構成された「特殊世界」(Sonderwelt)なのであり、そのことが忘れ去られるとき、自己肥大化した素朴な科学主義が頭をもたげるのである。こうして生活世界の現象学は、「真の存在」をめぐる探究に根本的な視座の変更をせまることになる。 ――――――――――――――――― 番号はわたしが付けたのね。
フッサールの場合、「ヨーロッパ諸学の〈危機〉」とかあって、あと別のところで「学問の基礎づけ」とか言ってるんだけど、わたしのばあい、こういうはあまり関心がないんだけどね。
この「生活世界」っていうの、フッサールが晩年に考えられたものだから、このつづき的な、「世界を見ることを学び直す」っていうメルポンのにも倣って、この見方・考え方やその方法について、ちゃんと見といた方がいいかな、って思ってる。
ここのところについてのわたしの見えは後でね。
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