□投稿者/ パニチェ -(2026/02/23(Mon) 08:07:50)
| おはようございます、pipitさん、うましかさん。 横レス失礼しますが、独り言みたいなワケわかめのレスだと思うのでスルーして下さい。
■No45404に返信(pipitさんの記事) > うましかさん、こんにちはー(^O^)
> No45402 > >自己のイメージとして、タマネギ等に喩える人がいますね< >>皮(属性)を一枚一枚めくって最後には何も残らない、つまり私(自己)は属性の総体、みたいな<
> 私(自己)は「結束バンド」とかね( ^ω^ )?
私は以前は“私”を「束」という表現を使ってました。 立場や役割、性別や個性などなど、さまざまな細い1本1本が集まった束。
父親、夫、ビジネスマン、男、友人、短気などなど。。。
でもその1本1本は他者にも当てはまる言語化可能なものであって〈私〉そのものではない。 もしこの束に〈私〉のような芯がないとすれば仏教の無我と完全に一致するだろう。
でも、もし芯がないとすれば「(永井均氏の表現を借りれば)この目からだけ現実に世界が見えており、この体だけが殴られると現実的に痛く、この悲しみだけが現実的に直接的に悲しい唯一の存在者」となりえるのか?
他者との決定的な違いをもらすこの差異はどこから生じているのか? 言語化不可能な透明無味無臭の芯が存在する証左ではないのか。。。
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