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Re[19]: 超越論的分析論XI−14
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□投稿者/ pipit -(2026/02/15(Sun) 00:21:02)
| 2026/02/15(Sun) 07:12:32 編集(投稿者)
うましかさん、こんばんは(^▽^)/ カント沼投稿ありがとうございます♪
No45317
> ◇ そこでこの場合、いったい諸表象の対象という表現〔Ausdruck eines Gegenstandes der Vorstellungen〕で何が意味されているのかに関して説明しておくことが必要である。<
> ◇私たちは先にこのように述べた。すなわち、諸現象〔Erscheinungen〕そのものは感性的表象〔sinnliche Vorstellungen〕以外の何ものでもなく、この感性的表象はそれ自体では、まさにこの感性的という様式においては、(表象能力〔Vorstellungskraft〕の外にある)対象と見なされてはならないのだと。<
> ◇ 〔では、〕その認識に対応する、従ってまたその認識と区別された対象について語る時、いったい人は何を理解しているのであろうか?<
> ◇ 容易に洞察できるのは、この対象は、或るもの一般〔etwas ueberhaupt〕=Xとしてのみ思考されざるを得ないということである。<
> というのも、私たちは、自らの認識の外に、この認識に対応するものとして対置できるものを何一つ持っていないからである。<
上記文章は↓以下のようなことを言ってるのかな?と考えてみました。
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認識行為には要素として「対象」がある。(自分があって、その自分が対象を認識して、『●●はホニャララである。』と対象認識している。)
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改めて考えてみると「対象」とは何を指すのか?
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認識に対応する、従ってまたその認識と区別された対象について語る時、
諸現象〔Erscheinungen〕そのものは、(表象能力〔Vorstellungskraft〕の外にある)対象と見なされてはならない。
なぜなら、諸現象(この感性的表象)は、表象能力の内にあるから。
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この対象は、或るもの一般〔etwas ueberhaupt〕=Xとしてのみ思考されざるを得ない。
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(pipit感想) まだわかりませんが、、、わたしが、一瞬一瞬に生じる多様な直観を集めて一つとして認識すると考えたとき、その(一つなる)認識に対応する『対象』というアプリオリな一般概念も経験に先立って考えられる、とカントは考えているのかな?と考えました。 超難し〜(/・ω・)/???????
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