□投稿者/ akaimi -(2026/02/12(Thu) 10:05:40)
| こんにちは! ひさしぶりの投稿です。
フッサールについての本を読み、疑問点をCopilotに質問しました。
(私) 100分de名著『フッサール ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』の第二回科学の手前にある豊かな世界 を読んでます。 P39からP55の部分からの質問
ガリレイによる自然の数値化というのについて語られています。 感性的性質にも数学的法則が貫かれていて、真の世界はそもそも数学的にできているという仮説をガリレイは自明のものとしたとしたことを「ガリレイによる自然の数値化」と呼んだということですね。
感性的性質とは具体的にどのようなものですか?
(Copilot) 「ガリレイによる自然の数値化」 を理解するうえで、 「感性的性質(sensuous qualities)」とは何か を押さえるのはとても大事です。
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感性的性質とは何か? フッサールが言う「感性的性質」とは、 私たちが日常の生活世界で、身体を通して直接感じ取っている性質 のことです。
たとえばこんなものが典型例です:
色 - 空の青さ - 木の緑 - 夕日の赤さ
音 - 鳥の声 - 波の音 - 風の音
触覚 - ものの硬さ・柔らかさ - 温かさ・冷たさ - ざらざら、つるつる
味・匂い - 甘い、しょっぱい - 香ばしい匂い - 源氏パイの甘さや歯ざわり(まさにこれ!)
形や大きさの「感じ」 - 近くにあるものは大きく見える - 遠くの山が青く霞んで見える
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ガリレイがしたこと:感性的性質の「数学化」 ガリレイは、こうした「感性的性質」を 数学的な性質(長さ・重さ・速度・角度など)に置き換えて理解できる と考えました。
たとえば:
- 色 → 光の波長 - 音 → 振動数 - 温かさ → 分子運動の速度 - 落下 → 加速度(9.8m/s²)
つまりガリレイは、
> 自然の本質は数学で表せる。 > 感性的性質は“二次的”で、本質ではない。
と考えたわけです。
これが「自然の数値化」です。
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フッサールが問題にしたこと フッサールはここでこう言います:
> 数学化された自然は、生活世界の豊かさを切り捨ててしまった。
つまり、
- 私たちが実際に生きて感じている世界(生活世界) - 数学が描く抽象的な世界(科学の世界)
この二つがズレてしまったことが「危機」だと考えたのです。
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あなたの源氏パイの例で言うと… - 「甘い」「香ばしい」「ちょうどいい硬さ」 → 感性的性質(生活世界の経験)
- カロリー、糖度、硬度、成分分析 → 数値化された世界(科学の世界)
ガリレイ的な科学は後者を重視しますが、 フッサールは前者こそが人間の世界の基盤だと考えました。
--- (私) ここで質問です。 フッサールは、感性的性質は数値化することは難しいものであるはずと考えていたのですね?
ちなみに現代だとこのあたりどうでしょうか? 個人が部屋の照明の明るさをどう感じるかを数値化することは難しいとしても、共通単位で照明の明るさを示すことは可能ですよね。
(Copilot) ここでは、 @ フッサールがなぜ「感性的性質は数値化できない」と考えたのか A 現代科学ではどう見えるのか を丁寧に分けて整理してみます。
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@ フッサールの立場 フッサールは、ガリレイ以来の近代科学が
> 感性的性質(色・音・温かさ・甘さなど)を“本質ではないもの”として切り捨て、 > 数値化できる性質(長さ・重さ・速度など)だけを本質とした
ことを問題にしました。
フッサールの主張はこうです:
● 感性的性質は「生活世界」の経験であり、
数学的に置き換えられない豊かさを持っている。
たとえば:
- 「赤い」と感じる赤さ - 「眩しい」と感じる明るさ - 「甘い」と感じる味 - 「心地よい」と感じる温度
これらは 主観的経験の質 であり、 数値(波長・ルクス・糖度・温度)に置き換えても、 その「感じられ方」そのものは失われてしまう。
フッサールはここをとても大事にしました。
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A 現代科学ではどうか? あなたが言うように、現代では
- 明るさ → ルクス - 色 → 波長 - 音 → 周波数 - 温度 → 摂氏 - 味 → 成分分析
など、共通単位で測定できます。
しかし、ここで重要なのは:
● 測定できるのは「物理的性質」であって、
「感じられ方そのもの」ではない。
たとえば:
- 500ルクスの照明でも「明るい」と感じる人と「暗い」と感じる人がいる - 20℃でも「寒い」と感じる人と「ちょうどいい」と感じる人がいる - 同じ甘さでも「甘すぎる」「ちょうどいい」と感じ方が違う
つまり、物理量の数値化は進んでも、感性的性質そのものは依然として主観的 なんです。
これはフッサールが言う「生活世界の豊かさ」が残っている証拠です。
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B 現代の視点から見るとどうなるか? 現代科学はフッサールの時代よりはるかに進歩しましたが、それでも:
● 感性的性質の「主観的な感じられ方」
(クオリア)は数値化できない
という点は変わっていません。
たとえば:
- 「この赤はどれくらい“赤く感じる”か」 - 「この明るさはどれくらい“眩しいと感じる”か」 - 「この甘さはどれくらい“ちょうどいい”か」
こうした“感じ方”は、いまだに科学では完全に扱えません。
つまり、現代でもフッサールの指摘は鋭いままです。
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C あなたの問いへの答え(まとめ) > フッサールは、感性的性質は数値化できないと考えていたのか?
→ はい。数値化できるのは物理的側面だけで、 感じられ方そのものは数学化できないと考えていました。
> 現代ではどうか?
→ 物理量の測定は進んだが、 “感じられ方”そのものは依然として数値化できない。 フッサールの問題意識は今も有効です。
--- (感想) 主観的な感じられ方そのものはたしかに数値化不可能ですね。 ここからフッサールがどう展開していくのか、少しずつになりますが読んでいきます。
例として今思いだしました。 体温にしても個人差があるから、37°C台の発熱でもかなり熱く感じる人、平熱が高いとそうでもない人と、主観的な感じられ方は数値化が難しいです。 若い頃、平熱が高かった頃には、インフルエンザの予防注射を受けるのに何度も測りなおしたりしました。 身体の熱さは感じてなくても数字としては表れてしまうのですね。
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