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No44866 の記事


■44866 / )  Re[92]: :つれづれなるままに
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2025/12/12(Fri) 18:23:01)
    No44851のつづき
    カントのを少し見たなかで物語りを作ってみたよ。

    むかしむかしあるところで、ある人々のあいだでは(あ、これ哲学者に限ったことじゃなくてね)、〈人間も含めてこの世のいっさいをつくり(創造主)、それをすべ、それを統一しているような、全知全能な〉ものが(この世にではなく)存在すると想像した。
    〈そのようなもの〉にその呼び名をつけるんだけど、でここでは既存の言葉を借りて〈そのようなもの〉をひとまず〈神〉ってするね。
    スピノザの場合〈自然〉っていう用語をそれに当てたのかもだけど

    〈神〉は〈するもの〉とされ、〈人間〉は神に〈されたもの(されているもの)〉と考えられ、〈神〉は人間を超越するものとして〈超越的なもの〉とされた。
    ここで〈するもの〉を〈主〉、〈されるもの(されているもの)〉を〈客〉ってするね。
    このように、〈主〉と〈客〉は対となって、
    (A)〈神〉←〈主〉、〈神〉や〈神の創造物〉←〈超越的なもの〉、〈人間〉←〈神〉に創造されたものとして〈客〉。
    っていうふうに見られていた。あ、〈神の創造物〉っていうのは、
    No44836で見たような〈素材そのもの〉のことで、これも〈超越的なもの〉ってして見たよ。

    でも、いつしかこの見方は転回され、

    (B)〈人間〉→〈主(するもの)〉、〈神〉や〈神の創造物〉→人間にされるもの〈客(されるもの)〉、
    と考えるようになった。
    こういうなかでも、〈神〉や〈神の創造物〉←〈超越的なもの〉、はそのまま。
    このようななかで、哲学者のあいだでは、
    (C)〈主(するもの)〉は、人間(自分)の内の〈ego=自我=考える我〉として考えられ(限定され)ていた。
    No44795の(事典G)の
    「近代哲学の自我の不可疑性の自己確信という方法論的優位が自我をSubjectに結びつけた」
    のように。
    そして、(B)、(C)のような見方・考え方から、
    (D)〈世界〉は私のego(考える我)の内で〈構成されるも〉として見られるようになっていった。

    (A)から(B)へのわたしがイメージしたのをペイントしてみたのを添付しま〜す。
    こう見ると、何が転回したのか、っていうと、〈神〉と〈人間〉、どちらを〈するもの(主)〉として見てどちらを〈されるもの(客)〉として見るかの転回なんかな?って。

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