□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2025/08/30(Sat) 19:46:24)
| No44050、pipiさま、こんちは〜 カントの、いろいろ助言ありがとございま〜す。 「プロレゴーメナ」っていうのわたし知らないなかで話しま〜す。
>『「私」は、ある現存在の感情に他ならず、いささかも概念を含まない。それは一切の思考がそれと関係(偶有性の関係)をもつものの表象に過ぎない。(Ak334.中公218.岩波178)』< ここんとこだけ見てわたしが思ったのを書いちゃうね。
ここにあるカントの(日訳)で、わたしの問題は、カントの言う、 ・@『「私」』 A『ある現存在』 そして Bカントにおける『感情』と@とAの関係は かな。 あと気になるのが 『に他ならず』とか『に過ぎない』っていう言い方(日訳)ね。
わたし、カントの『純粋理性批判』では神に対する人間の「認識(判断)」について書いてあるんだと思ってて、人間の「意識」について語ってるんじゃないと思てるのね。
わたしの「意識」の意味は、〈感覚・知覚・記憶・想像・思考、感情・欲望・意志…〉見たいなの、ぜ〜んぶ含めてそう呼んでいるのね。これ、「目覚めてるとき」のことを主として言ってるけど、このなかに「無意識」も含めているのね。 眠ってるとき?眠ってるときでも脳が活動してるときがある(ノンレム睡眠?)みたいだけど、これも「意識」に含めてもいいかな。 ん?ってすると、わたし、脳の活動を「意識」ってしてるのかも。ってすると〜、「眠ってる」(レム睡眠?)も「眠ってる、っていう脳の活動」ってして見てもいいのかも。 あ、なんか書いてるうちにいろんなのが浮かんできてるかもだけど、
他の人が「意識」とか「心」とか「精神」っていうのをどのように思ってるのか知らないけど、わたしのはこんな感じのね。 こういうわたしの意味で、カントの純粋理性批判は「意識がコギトだけになっちゃってる」ってわたし思っちゃたのね。
pipiさまの場合どうなのかしら?「意識」とか「心」とか「精神」って言うの、どう見てるのかしら?
なんかそこはかとなくになっちゃたみたい。 捨て置いて。
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