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Re[9]: 超越論的分析論XI−8
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□投稿者/ pipit -(2025/08/03(Sun) 15:40:42)
| うましかさん、こんにちは(^_^) おじゃまします!
No43877 > > 多様(なもの)は、見渡され、総合される、つまり把捉され、多様なものを多様なものとして直観の統一をなす、、、(。´・ω・)? > このプロセスは「認識」未満(。´・ω・)? ちがうかな… > > (;´・ω・)沼地<
ほんとどこまでも沼地!
Apprehensionという語の解説、勉強になりました。ありがとうございます。
把捉は多様をつかまえるってイメージかなぁと思ったのですが、やみくもにつかまえるのではなく、何かに沿ってつかまえてて、この何かが「カテゴリー」とカントは考えているのかなぁとB160.161を再読して考えてみました。(・・;)
うましかさんが読んでるのはA版(初版)ですが、B(第二版)160.161からApprehensionについてと思われる箇所を引用します。
『純粋理性批判 上』以文社、p206、田村一郎先生訳、B160.161 『まず注意しておきたいのは、覚知の総合ということで理解されていたのが経験的直観における多様の合成であることである。こうした合成によって知覚が、つまり直観の経験的意識が(現象として)可能となる。(略)それゆえにすでにわれわれの内外の多様の総合の統一でさえ、(略)結合もが、すべての覚知の総合の条件としてすでにア・プリオリに、これらの直観(のうちにではなく)とともに同時に与えられているのである。けれどもこうした総合的統一とは、根源的意識の中にある与えられた直観一般の多様を、カテゴリーに従って結合しようとする統一が、たんにわれわれの感性的直観に適用されただけのことである。(略)』 引用終わり。
御子柴先生の『カント純粋理性批判』では、p225-にB160.161の解説がありました。
『把捉』について出てくる論文では、 直観はいかなる意味で概念に依存するのか ---『純粋理性批判』演繹論における直観の理論について--- 片山 光弥さん ://www.l.u-tokyo.ac.jp/philosophy/pdf/ron40/05-Katayama.pdf かありました。
沼!!
> ◇ 2. 構想における再生産の綜合について〔2. Von der Synthesis der Reproduktion in der Einbildung〕 > > ◇ 次のことが或る単純で経験的な法則〔ein bloss empirisches Gesetz〕に従うことは確か〔zwar〕である。すなわち、しばしば継起し〔gefolgt〕、または随伴してきた〔begleitet haben〕諸表象が、最後には互いに連合し合い〔vergesellschaften〕、このことによって連結し合う〔Verknuepfung〕に至り、このような連結の後に、その対象の存在がなくても〔ohne die Gegenwart des Gegenstandes〕、これらの諸表象の一つが、心の他の表象へ移行することを、或る恒常不変の規則〔einer bestaendigen Regel〕に従って引き起こす〔hervorbringt〕のである。<
感官によって可能となる多様な表象の総合、構想力によって可能となる再生産像の総合、、、いろんな総合によって対象が形作られて行く....
それでもそれは受け身で何かに触発されることが最初の一歩....
カントの記述は本当に細かいですね _| ̄|○
そういえば粉砕するカントみたいなキャッチフレーズを何処かで目にしたような( ; ; )
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