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No42486 の記事


■42486 / )  神は自由か
□投稿者/ rest -(2025/04/19(Sat) 12:48:28)
    2025/04/20(Sun) 09:41:00 編集(投稿者)

    「もしわたしが災いを予告した民が悔い改めるなら、わたしは下そうと思っていた災いを思い直す」(旧約聖書エレミア書18章8節)
    神は災いを起こすことも選択できるが、災いを起こさないことも選択できる、という自由意志をもっている。
    実際ヨナ記でも預言の変更をしている。おそらく黙示録的預言も変更される可能性がある。むろんキリスト教的「神」を前提にしているが、これは超越的信仰の問題。私の立場はカント的不可知論だ。しかし「神」について思いめぐらす自由はある。
    そこで神は選択した。災いを起こさないという事実が実現し、災いという事実は起こっていない。神はすべての可能性を実現しているのではなく、選択して実現しているのである。それゆえに神は「自由」である、といえる。
    さらに全能の逆説においても、次のように応える。全能をなくするのも自由に選択できるし、もとに戻るのも自由に選択できるということ。完全な自由ということが前提だが、根本的なことは論理の問題ではなく、信仰の問題だ、と思う。それを私は否定しない。
    さらに未来は知ることができるか、について換言すれば全知は可能か、に行きつく。100年後、1万年後の世界が実在すれば全知は可能だが、実在しなければ全知は成り立たない。実在しないものを知ることはできないからだ。そもそも未来のできごとは我々の自由意志の選択の結果であって、様々な可能性が未決定のままなのでつまり未実現の状態が未来なので未来は実在しない、と考えるのが普通だろう。
    したがって神は全知ではない。また神は全知である必要がない。
    マクタガートのB系列論者は未来は実在すると考えるが、つまり三次元空間は固定した画像と同じで動きがなく、四次元ではじめて変化が現れると考えるが、これは決定論的運命を必然とする。それに対してカントの三次元空間は過去や未来の無数の三次元空間の存在を否定し現在における唯一無二の空間を絶対的存在と考え、その一つの三次元空間内ですべての動き、変化が生じる、とする。時間は社会的約束事であり、ルールであり、実体はない、と考える。過去はどこにも保存されず、痕跡を残し、消滅していく。それこそ仏教の諸行無常の世界だ。決定論ではないのであらゆる可能性を自由意志で選択することができる。
    未来が実在すると考える四次元論者は、神の全知を考えることができるが、三次元論者は神の全知を否定することになる。ただどちらが神の自由を認めることができるのか。
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