□投稿者/ pipit -(2025/04/14(Mon) 00:37:38)
| 2025/04/14(Mon) 00:45:18 編集(投稿者)
こんばんは(^ ^)
『カント全集〈第2巻〉前批判期論集1 』理想社 //bookmeter.com/books/1507354
に、カント『負量の概念』の日訳(山下正男さん訳)があります。 ※上記のページにMajorさんという方の感想が載っています。
pipitはネットの古本屋で購入しましたが、 難しそうなので読んでないままで、 チラ見しただけなので勘違いしてたら申し訳ないのですが、
(上本p231より引用・カントの文章の日訳) 『数学者はこの実質的反対の概念を量に関して適用し、これを表示するため、量に+や−の記号をつける。 こういった反対はすべて交互的であるから、一方が他方を、部分的あるいは全面的に、廃棄はするけれども、+を冠する量と−を冠する量との間にはなんの差別もつける必要はない。 一隻の帆船がポルトガルからブラジルへ向かって航海するとしよう。東風で進んだ距離に+をつけ、西風で吹きもどされた距離に−をつけ、距離の単位はマイルとしよう。そうすると一週間の航程は+12+7−3−5+8=19マイルであり、これだけ西へ進んだわけである。 −を冠した量は+を冠した量と考え合わされるかぎりにおいてのみ反対の記号となるが、−を冠したもの同志だと反対にならない。 なぜなら反対は+と−の間にのみみられる関係だからである。 減ずるということは、異符号の量が合わされるときに生ずる廃棄であるから、−は本当は、普通考えられているような減算の記号ではないのであって、+と−がいっしょになってはじめて減算となる。』
とあります。 上記の例では、東風も西風もそれぞれにその時々にきちんと吹いてるもので、どちらも自らを肯定しているというか...
p233より引用 『(略)、この関係はまた実質的反対にほかならないのである。二つのものの反対関係が矛盾的反対ではないこと、そして、一方が他方の積極性を単に否定するだけというのではなく、後にいうように自らをも肯定者として打ち出すことによって他方と反対関係を結ぶということ、こういったことを一見してわからせるために、数学者の方法をまねて、下山を負の登山、落下を負の上昇、退却を負の前進と名づけることにしよう。』
p234より引用 『たとえば、上昇の負(negativ)は下降であるが、それは他の否定(Negation)を意味するのではなくて、他と実質的反対の関係にたつものを意味するのだと解していただきたいのである。』
p249より引用 『そこで、すべての消滅は負の生成であると私はいおう。』
↓難しくてカントの文章全体を読む気力はないんだけど、目についたところがおもしろかったです。
p249より引用 『心的作用によって生じた表象や欲望の廃棄の際の内的経験についても全く同様のことがいえる。悲嘆の情を拭い去るためには大変な努力が必要であるというのは誰も痛感するところである。こみ上げてくるおかしさをかみ殺して真面目な気持ちになろうとするときにも非常な努力が必要である。捨象というものはある明晰な表象の廃棄であり、このことによって残りの表象をより明晰にするものである。しかしこれには大変な努力が必要であることは周知のとおりである。そこで捨象を負の注意と呼ぶことができるであろう。それは正真正銘の動作であり、表象を明晰ならしめる方の動作と相拮抗し消し合うことにより明晰な表象のゼロまたは欠如をひきおこすのである。』
> こみ上げてくるおかしさをかみ殺して真面目な気持ちになろうとするときにも非常な努力が必要である。<
↑このカントの文章がおもしろかったです。
仏教で 【怒らないことによって怒りにうち勝て。】 (ダンマパダ223、中村元先生訳) という言葉があるんだけど、私はこの言葉を思い出しました。 怒らない行為と怒る行為の合わせ技で、怒るをゼロにするんだなー、と。 仏教の場合、いろんなステージがあると思ってますけど。
ということで、カントの1763年の論文『負量の概念』を読もうと思ったら図書館や古本で読める可能性あるとのお知らせでしたー。 おやすみなさい(( _ _ ))..zzzZZ
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