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No42086 の記事


■42086 / )  多世界解釈と自由意志
□投稿者/ Appendix -(2025/04/13(Sun) 19:57:06)
    私は殺人を犯した(選択した)ということと、私は殺人を犯していない(選択していない)ということがどちらも事実として存在しているなら、選択の意味はない。
    少なくとも自由意志の価値はない。自由意志の重みが消える。可能性のふたつのうち一つを選択したということは可能性のひとつは実現し、もう一つの可能性は実現していない。
    だからこそ自由意志なのだ。すべて実現しているなら選択の意味はないことになる。
    私が殺人を犯したという事実が実現し、殺人を犯していないという事実は実現していない。これが自由意志が選択した結果だ。どちらも実現しているなら自由意志は存在していないことになる。どちらも実現しているなら私はどちらも選択したことになり、殺人を犯した私は殺人を犯さなかった私と同一であるというトートロジーに矛盾が生じる。私は殺人を犯した、かつ私は殺人を犯さなかったという命題は恒偽式または矛盾式である。つまりありえない。
    繰り返すが自由意志が選択する、ということは、可能性の一つを実現し、可能性のもう一つを実現しないことだ。
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