□投稿者/ SumioBaBa -(2025/04/12(Sat) 05:37:32)
| 〔1〕アポリア(答の見付からない謎)の存在
「科学では永久に解けない謎が残り続ける」というのが、これまでの常識であった。これには立派な根拠が有る。我々の世界W1では、論理的必然性も無いのになぜか多くの○○○について、「○○○でない」ではなく「○○○である」の方だけが選ばれて実現しているように見える。
例えば確率1/2ずつで「0」または「1」が出る量子乱数を発生させたら、なぜか「0」の方が出たとする。論理的には「0」も「1」も出て良さそうなのに、なぜ「0」の方が選ばれて出たのだろう? 一般化すると《アポリア》=「論理的必然性も無いのに、なぜ「○○○でない」ではなく「○○○である」の方だけが選ばれて実現しているのか?」と表現できる。
論理的必然性は無いので、答が見付からない。「なぜかは解らないが、なぜか「○○○でない」ではなく「○○○である」の方だけが実現しているのは確かなのだから、黙ってそれを受け入れるしかないじゃないか」で終である。これが、「科学の限界」と呼ばれるものであり、「不可知論」とも呼ばれる。
『大乗仏教概論』(鈴木大拙著、佐々木閑訳、岩波書店、2004)という本の中に、こういう記述がある。
ーーーーー科学は非相対性の領域にあえて挑もうとはしないーーーーー(P22)
ーーーーー科学は自己完結するものではないーーーーー(P74)
ーーーーー世界は相対的な存在でしかない。…。究極の普遍化を成し遂げたとしても、それは相対性の法則を超越することはできない。ーーーーー(P80〜81)
確かに量子力学以前の科学はこうであった。なぜなら、我々の世界W1だけが存在すると考える「単世界解釈」が常識であり、「科学の限界」を越える方法が無かったからである。
例えば、《存在選択の謎》=「なぜ我々の世界W1は「存在しない」ではなく「存在する」の方だけが選ばれているのか?」、《状態選択の謎》=「なぜ「○○○でない」ではなく「○○○である」の方だけが選ばれて実現しているのか?」のようなアポリア(答の見付からない謎)である。
我々の世界W1は《相対的世界》であり、論理的必然性も無いのに、なぜか多くの○○○について「○○○でない」ではなく「○○○である」の方に限定されているという『相対的真理』が存在する。実験・観察により「「○○○である」が真で「○○○でない」が偽だ」というところまでは判明する。しかし、「なぜ?」には答が見付からない。
参考文献 「真如」ですべてがトートロジー(1)〜(4) No41498,41547,41589,41662 仏教で解けない謎を量子力学で解く(1)(2) No41975,41976
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