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仏教で解けない謎を量子力学で解く(2)
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□投稿者/ SumioBaBa -(2025/04/10(Thu) 00:47:57)
| 仏教で解けない謎を量子力学で解く(2)
量子力学以前の科学では、我々の世界W1だけが唯一の存在だと考える「単世界解釈」が常識であった。W1では論理的必然性も無いのに、なぜか多くの○○○について「○○○でない」ではなく「○○○である」の方だけが選ばれて実現している。だから《謎》=「「○○○である」と「○○○でない」のどちらが真か?」が存在し、いろいろ調べると、《答》=「「○○○である」が真で「○○○でない」が偽だ」が判明するように見える。これが『相対的真理』であり、科学による真理の解明である。
しかし論理的必然性は無いので、《アポリア》=「なぜ「○○○でない」ではなく「○○○である」の方だけが選ばれて真なのか?」には答が見付からない。「なぜかそうだからそうなのさ」で終わるしかない。これが「科学の限界」と呼ばれるものである。《相対的世界》に過ぎない我々の世界W1は『相対的真理』に縛られ、何が真で何が偽かを現状認識はできるが、「なぜ?」には答が見付からない。「科学では永久に解けない謎が残り続ける」というのが、これまでの常識であった。
ところが量子力学が「多世界解釈」に気付いた。我々の世界W1だけでなく、存在し得るすべての世界W1、W2、W3、…が存在すると考える。ただしW1、W2、W3、…のそれぞれが、その世界に住む人にとっては「存在する」、他の世界に住む人にとっては「存在しない」、両方併せると「不定」、という在り方をしている。これらをW0=W1+W2+W3+…〔色即是空・空即是色〕と書くと、W1、W2、W3、…は無矛盾な「色」であるが、W0だけは有矛盾な「空」である。
「空」W0では、あらゆる○○○について「○○○である」と「○○○でない」の片方に真理が確定しておらず、「○○○である」「○○○でない」「不定」の3つすべてが確率的に実現している。例えば、W1では「○○○である」が、W2では「○○○でない」が、W3では「不定」が実現している、といった具合に。そして、「○○○である」と認識する視点に立てば「○○○である」、「○○○でない」と認識する視点に立てば「○○○でない」、「不定」と認識する視点に立てば「不定」、のトリプル・トートロジーが成立している。このトートロジーこそが、《絶対的世界》である「空」W0が持つ『絶対的真理』である。
「空」W0は完全無限定・完全無情報であり、「「○○○である」が真で「○○○でない」が偽だ」という情報を1ビットも持たない。だから真の世界である「空」W0の中には、「「○○○である」と「○○○でない」のどちらが真か?」という謎も無いし、「「○○○でない」ではなく「○○○である」の方が真だ」という答も無いし、「なぜ「○○○でない」ではなく「○○○である」の方だけが選ばれて真なのか?」というアポリアも発生しようが無い。
科学とは、《相対的世界》である我々の世界「色」W1の中で『相対的真理』を発見する仮のゲームに過ぎない。《絶対的世界》である「空」W0の中にはトートロジーという『絶対的真理』が存在するだけであって、科学で解明すべき『相対的真理』は何一つ存在しない。
鈴木氏はこう書いていた。→「科学は自己完結するものではない。」(P74)、「知性の力だけでは、我々の全存在の謎を解き明かすことなど決してできない。」(P84)。しかし科学は「自己完結」した。「知性の力だけで、我々の全存在の謎を解き明かすことができた」のである。
もっとも、「科学は世界W1の謎をすべて解明し尽くした」ではない。「真の世界は我々の世界W1ではなく、「空」W0の方だと気付いたら、「空」W0には科学で解明すべき謎など何一つ存在しないことが解った」である。そもそも「謎が有る」という事自体が変なのであり、世界を正しく認識すれば「謎など何も無かった」と気付くのである。
参考文献 「真如」ですべてがトートロジー(1)〜(4) No41498,41547,41589,41662
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