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「真如」ですべてがトートロジー(4)
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□投稿者/ SumioBaBa -(2025/04/01(Tue) 10:02:53)
| 「真如」ですべてがトートロジー(4) 真如はあらゆる○○○についてa「○○○である」+ b「○○○でない」(0≦a≦1、0≦b≦1) …[0] と表現した。これはトートロジーであった。「真如」を「真の世界「空」W0」と表現しても良い。 真の世界「空」W0はあらゆる○○○についてa「○○○で ある」+b「○○○でない」(0≦a≦1、0≦b≦1)…[1]
存在し得るすべての世界W0、W1、W2、W3、…をWi(i=0、1、2、3、…)とし、[0]において「○○○である」=「Wiである」、「○○○でない」=「Wiでない」とおくと、「真如」はすべてのWiについて確率的に「Wiである」にも「Wiでない」にもなり得る。つまり、 存在し得るすべての世界W0、W1、W2、W3、…のそれぞれが、 a「存在する」+b「存在しない」(0≦a≦1、0≦b≦1)…[2]
「多世界解釈」=「多精神解釈」と解釈しても良い。「世界」=「心」と見なし、世界W0、W1、W2、W3、…を心M0、M1、M2、M3、…で置き換えて、M0=M1+M2+M3+…〔色即是空・空即是色〕。存在するのは「神」だけである。「絶対的真如」の「空」M0が「神」の本来の姿であり、無情報(無意識)状態である。「条件付き真如」の「色」M1、M2、M3、…は、特定の情報を持った有情報(有意識)状態の心であり、「神」(ブラフマン)が見ている夢である。人間の心(アートマン)も「色」M1、M2、M3、…の方に含まれ、「神」自身が見ている夢に他ならない。物質世界は夢の中の幻(マーヤー)に過ぎず、実在しない。インド哲学でいう「梵我一如」である。「神」のは定義は「存在し得るすべての心M0、M1、M2、M3、…を要素する集合{M}」になる。「神」=「空」(M0)+「色」(M1、M2、M3、…)=「真如」だから、[0]の「真如」を「神」に変えても良い。 「神」はあらゆる○○○についてa「○○○である」 +b「○○○でない」(0≦a≦1、0≦b≦1) … [3] これが「梵我一如」を、採らない場合の、最も一般的な「神」の定義である。「神」の定義自体が〔仮説〕ではなくトートロジーなのだから、論理的必然性で外れようがない。
さらに[2]で「世界」→「心」と置き換えると、次の[4]になる。これもトートロジー。 存在し得るすべての心M0、M1、M2、M3、…のそれぞれが、 a「存在する」+b「存在しない」(0≦a≦1、0≦b≦1)…[4] また[3]において、「○○○である」=「存在する」、「○○○でない」=「存在しない」とおくと次の[5]になる。もちろんこれもトートロジー。 「神」はa「存在する」+b「存在しない」(0≦a≦1、 0≦b≦1) …[5]
以上、[0][1][2][3][4][5]のすべてがトートロジーである。最も一般的な[0]から、他の[1][2][3][4][5]はすべて導かれる。「世界の真の在り方」が「真如」だと見抜き、「量子論理」を用いて正しく記述すれば、「神」と「世界」の謎が、すべてトートロジーに解消できた訳である。
例えば[4]は、以下の<1><2><3><4>すべてを確率的に含んでいる。 <1>{M}の要素すべてが「存在する」。 <2>{M}の真部分集合{Ma}だけが「存在する」、補集合{Mx}は「存在しない」。 <3> 1人の人間としての自分の心M1だけが「存在する」(M1の独我論)。 <4>{M}の要素すべてが「存在しない」。 あらゆる可能性を網羅し、それらの中のどれかが真理だと主張しているのが[4]だから、決して外れようがなく、証明不要のまま論理的必然性で恒真(トートロジー)になる。
パニチェさんへ
《SumioBabaの主張》=「[0][1][2][3][4][5]はトートロジーであり、これらを用いて《存在選択の謎》も《状態選択の謎》もトリプル・トートロジーに解消され、事実誤認だったこととなって消滅した。」です。この主張に誤りが「ある」のか「ない」のかを見極めて下さい。
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