□投稿者/ pipit -(2025/03/16(Sun) 14:44:26)
| こんにちは! 例えば数学のアプリオリについてなんだけど、能力の種を持って生まれてきている、他人から使い方を教えてもらうことで、自分にある能力が花開く、みたいな考え方もできるかなって私は思ってるんだよ。 経験がきっかけかもしれないけど、アプリオリな能力を使うことができるようになる感じ。
カントの理解として合ってるかどうかはわからないけど、 カントが使ってる用語に『根源的獲得』っていう用語があるみたいでさ。 この『根源的獲得』について書いた過去投稿をコピペするね。
--------------------- No1338 (根源的獲得についてのpipit投稿と本の引用) 『カント入門』という新書のp111〜113で、著者の石川文康先生は、 世間ではよく誤解されているが、「純粋理性批判」におけるアプリオリとは、生得的という意味ではない、と注意喚起されています。 (経験から)獲得的⇔生得的 これが一般的な対語だが、カントはこの従来の二分法を超えて、第三項として「根源的獲得」という領域を切り開く、とされてます。
部分引用します。 『それに対してカントが第三項として導入した自然法用語「根源的獲得」は、一切の先なる所有者を、また先なる根源を前提しない概念である。 したがって神からも経験(先なる根源)からも派生しない概念である。 それは知性がその自己活動によって知性自身から獲得したという意味である。 そしてその意味で、カテゴリーは知性自身にその根源をもつ概念である。』(p113より引用) 『たしかにカント以前、とくにライプニッツにおいては、「アプリオリ」と「生得的」とはほぼ同義であった。しかしカントの場合、「アプリオリ」とは「経験に先立つ」すなわち「経験に由来しない」という意味を出ない。その目印は「普遍妥当性」と「必然性」をもつことである。』(石川文康先生『カント入門』p111より引用)
No3900 (pipitの私見) 一応カントの言い分だと、 人間の持つ能力によって、アプリオリな綜合判断が可能だ、って言ってるんだと思ってるよ。 だから、人間の能力にすぎない、というのは、カントもそう言うと思ってるよ。
カントのアプリオリは、生まれつきという意味ではなくて 根源的獲得、という意味合いみたい。 獲得、ってあるでしょう? どこから獲得するのか。神から?経験から? カント的には自分自身の能力から、自ら獲得する、ってしてると私は今の所思ってるの。 だから、幼児はまだ、自分の持つ能力から、総合判断を可能にするアプリオリな概念を引き出してない、手元に使えるように獲得してない、と考えられるのかな?
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それではねー (^^)/
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