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No41095 の記事


■41095 / )  あらゆる楽器の音の全実例を聴き分ける主体
□投稿者/ knowingitself -(2025/03/04(Tue) 16:57:58)
    > >生涯で鳴らした音はすべて現実世界で、リアルに出力された、音として生まれた。そのすべての音を正確に記憶できることはないと思うが、少なくとも音を鳴らしたときは、音として認知していたのではないか。
    >
    > 全世界の音を鳴らす人のすべての音は、それと認知しうる。認知されうるものとして鳴らされる。
    >
    > 神の全知とはそういうことではないか。

    どの楽器でも、例えばピアノなら、

    世界中で数えきれないほどピアノを弾く人はいるわけだ。

    そこで鳴らされた音は、すべて、認知され、識別され、理解される音として生まれる。

    ありえない架空の想定だが、常に傍らに天才的に耳の良い教師やリスナーがいて集中力を研ぎ澄ませているなら、その認知や識別、理解からまぬかれることはできない。生涯で鳴らすすべての音が対象になる。

    これはピアノに限らず、あらゆる楽器であてはまるだろう。

    これは聴覚の話しだが、実はあらゆる感覚情報についてもいえないか。楽器は人間の身体のメタファーでもある。

    なぜこういうことをいうかというと、

    これが「すべてを知る」神のイメージになりうるかと思うからだ。

    感覚的にインプットされる現象は、認知されうる、理解されうるものとして生みださせる。


    生み出されることと認知される理解されることは同時といっていいかもしれない。

    もちろん、個人でも集団としての人間でも、認知や理解に追いついていけない、漏らしてしまうのが当然だが。

    しかし原理的にはすべてが認知可能理解可能なものとして、現象は生まれ消えていく。

    その認知や理解の主体が「すべてを知る」神ということになろうか。

    このとき、現象の創造主体であることと、「すべてを知る」ことは同一に帰するというか、区別することはできないようにも思う。同時の過程だから。




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