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No40960 の記事


■40960 / )  Re[29]: 般若心経
□投稿者/ akaimi -(2025/02/14(Fri) 10:46:29)
    2025/02/14(Fri) 11:02:41 編集(投稿者)
    時さん、こんにちは! 投稿ありがとうございます。


    No40957に返信(時さんの記事)
    > 2025/02/13(Thu) 20:32:29 編集(投稿者)

    > 大乗仏教の教義とともにそれが誕生した経緯を知りませんでしたので、とても興味深く読ませていただいています。^^

    ありがとうございます。(^^)

    >>真の実在は、「五蘊」「十二処」「十八界」の各項目だけということになります。
    >>これが、釈迦の言った「ここに自分というものがあるという思いを取り除き、この世のものは空であると見よ」の意味です。
    >
    > www.youtube.com/watch?v=VLiFmTujoVc&list=PLmwYOQLkF8YgOUHA24lG2-JueW4nri2fB
    > こちらのシリーズ他の動画を見ましたが、佐々木先生には珍しくはっきりとした表現をされていますね。もちろんこの切り取り方をすればこのような表現にもなると思いますが、少しだけ引っかかったのが「真の実在は、「五蘊」「十二処」「十八界」の各項目だけということになります。」というところですが、これも空の大乗との比較により生まれた表現だろうと思いました。

    そうかもですね。空の思想だけでなく原始仏教でも当然のことながら、「真の実在」という表現は本来は成り立たないとは私も考えました。
    仏陀はそれらを「在る」ということにして説明した、ってことなんじゃないのかな、というのは思いました。
    ですから、時さんがおっしゃられるように、般若心経との比較においてわかりやすくするために佐々木さんはこのような表現をされたのかもしれません。

    > 私の知る原始のみの内容での空は、何かを捉えたときにはそれを空ならざる存在と捉えて、それ以外を存在しないものとして空と観よということで、村を捉えたのであれば村という単一のみを作意してそれ以外を存在しないものと観る観方をしますし、地想を捉えたのであれば、地想の単一のみを作為してそれ以外の村について空であると了知するとあります。
    >
    > ですので、心に浮かぶ何か、村や人々、何かの香りや空間等の中で、村に集中すればそれは空ならざるものとして存在し、それ以外のものはそこに存在しないものとして空とみなすといった記載があります。その目的は、清浄な空性の顕現のようです。

    たしか、「牛がいる」というときに「空ではない」、「牛がいない」というときは「空である」のような譬えもあったような記憶があるのですが、定かではありません。

    > これは、空ではない存在と空なる非存在との各認識の体得になるでしょうか。つまりは、何か一つを認識対象とした場合に、それは存在して空ならざるもの。それ以外を非存在としての空と表現しているのだと理解しています。

    はい。

    > 原始に、婆羅門の一人が仏陀に対して「私は自己による行為は存在しない。他者による行為は存在しない」という見解の持ち主です。といいます。これに対して仏陀は「そのような見解は見たくも聞きたくもありません」と完全否定している経典があります。

    六師外道と言われる人々の仲間になるのでしょうか。

    >>『般若心経』の場合、私たち人間が想定する一切の区分を否定し、この世の在り方を、「区分のない一つの総体」としてとらえます。
    >
    > 自己による行為、他者による行為という区分を存在しないということで否定した婆羅門の見解を仏陀は否定しましたが、多分、般若心経の中での世界観では肯定するということでしょうか。。

    『般若心経』の一部分から引用してみます。
    ・・・・・
    舎利子
    色不異空 空不異色
    色則是空 空即是色
    受想行識 亦復如是

    【訳】
    舎利子よ、
    この世の「物質要素」(色)は「実体がないという状態」(空性)であり、「実体がないという状態」が「物質要素」である。
    「物質要素」(色)は「実体がないという状態」(空性)と別ものではなく、「実体がないという状態」は「物質要素」とは別ものではない。
    「物質要素」(色)が「実体がないという状態」(空性)なのであり、「実体がないという状態」が「物質要素」なのである。
    [五蘊のその他の要素である]「感受作用」(受)、「構想作用」(想)、「意思作用およびその他の様々な心の作用」(行)、「認識作用」(識)についても、「物質要素」(色)と全く同じことが言える。
    ・・・・・
    100分de名著『般若心経』佐々木閑 著 p46〜p47から引用

    ・・・・・
    「釈迦の仏教」では、「私たちを形成する基本要素」である五蘊は確かに実在する、と言っているのですが、ここではそれを「実在しない」と言います。
    五蘊とは実在の要素ではなく、「実体をもたないという状態」に与えられた仮の名称だ、と言うのです。
    ・・・・・
    同書p46〜p47から引用

    二つの引用からも考えるに、その婆羅門の言い分と『般若心経』の語りはまた別なものであると私には思えます。

    >>『般若心経』の場合、私たち人間が想定する一切の区分を否定し、この世の在り方を、「区分のない一つの総体」としてとらえます。<<同書p135より
    というのを前の私の投稿でも書きましたが、
    これが、色即是空の部分だと考えています。
    しかし、色即是空は空即是色と対になっていますので。

    > まるで、スタート地点とゴール地点が同じなのだから、ここから長いマラソンはしなくても同じ位置だといっているようにも観えますね。ということで、今のところ、見方によれば大乗の空の思想は、なるほど仏教哲学としての最たるものなのかもしれないなぁと思いました。
    >
    > www.youtube.com/watch?v=-nH7Rewh-Bw
    > 今となっては、「阿含経」で生きる人、「般若心経」で生きる人。それぞれで良いのではないでしょうか。無常なる様相の世界観で生じたものは必ず滅するのですから。

    動画を拝見しました。昔のお坊さんたち(日本のだと思います)は、阿含経より大乗仏教のほうが優れているという考えの人が多かったというお話をされていますね。
    日本に広まったのは大乗仏教だったので自然にそのように考えられてきたのでしょうね。
    しかし、順序というか歴史の流れがあり、釈迦の仏教の後に大乗仏教が生まれてきたのであり、どちらが優れているという話ではない、と。

    > 今のところ私の知る範囲でのインド哲学の中でのもので、空の思想はやはり四句分別の4番目である不一不二の領域としか認識できないですかね。雑感としては、私が一番知りたかった仏陀の時代からどのように、なぜ根本分裂が生じたのか?という明確な史料がないようで、そこは少し残念でしたが、少し前に佐々木先生の教室で講義を受けていたのであれば、、私としては、いろいろと楽しかっただろ言うなぁと思いました。^^

    根本分裂・・・再度最近購入した三枝さんという仏教学者の方の本に、結集についてなどの経緯は出ているのですが、分裂の理由についての明確な説明はなかったような気がします。(おぼろげな記憶で言ってるので違うかもですが)

    あくまで私の考えですけど、仏陀が亡くなり、自由に自分たちの考えを主張できるようになっていったから、というのはあるんだろうなと。



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