□投稿者/ rest -(2025/02/05(Wed) 09:38:44)
| 2025/02/05(Wed) 20:05:36 編集(投稿者)
今日は午後からの仕事で午前中は時間があるので簡単に記す。備忘録として。考えたことは時間がたつとすぐ忘れてしまう。これも年のせいか。 昨年の米大統領選で気になったことがある。得票数でハリス候補が7474万票(48.3%)、トランプ候補が7716万票(49.9%)となったが、これを大差とみるか僅差とみるか。 ハリスさんの敗因を考えてみた。たぶん「多様性の尊重」が内に抱える自己矛盾に気づかなかったからだと考えている。「多様性の尊重」を支持するというのは、個性を尊重するので、これは同時に類対立(似たものどうしが嫌いあう関係)が生じ、「多様性の尊重」を支持するもの同士の反発から、反対候補(ナショナリズム)へ傾斜したのではないか、と危惧している。だからこそ「共同性」も尊重しながら、バランスをとる必要があったが、ただ現在は社会的状況が「共同性」に偏りすぎているので、バランスをとるために「多様性の尊重」を主張するという立場を明確にすべきだったのではないか。 最近私も類対立で悩んでいるが、対立をさけるためには思い切って個性化(違い)にかじをきることも必要ではないか、と考えている。むろん共同性は否定しない。しかしその「共同性」は強すぎるため、のみこまれてしまうおそれがある。個性を失いかねない。だからこそ個性を守るため、共同性を強いる緊張を避けるためにもいっそうの個別化してバランスをとる必要があるのだ。「個性的結合は同時に類対立」という原理から、類対立がつまり緊張がいやなら緊張のない個性的結合も選択肢としてあるということだ。類対立も選択肢だがいっそうの個別化も選択肢。どちらも個性原理上にある。相手があることだからバランスはとてもむつかしい。ほんと痛感している。
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