□投稿者/ うましか -(2024/10/29(Tue) 19:28:56)
| 2024/11/04(Mon) 14:32:57 編集(投稿者) 2024/10/29(Tue) 19:29:57 編集(投稿者)
pipitさん、こんばんはー
今夜はカント温泉(^^♪ 「いい湯だなっ♪」
、、、といいたいところでしたが、
ずっと忙しくて、久しぶりに純理ひらいたら、、、(・・?
なんだか異世界の言語みたいでした(;・∀・)
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T 超越論的原理論 第二部門 超越論的論理学 第一部 超越論的分析論 第一篇 概念の分析論 第一章 全ての純粋悟性概念を発見する手引きについて 〔済〕 第二章 純粋悟性概念の演繹について
第一節 (第十三項) 超越論的演繹一般の諸原理について 〔済〕
◆ 人がこうした諸研究の労苦を免れようとして、経験は諸現象のそうした合規則性の諸実例を絶えず提供しており、それらの諸事例が原因という概念を諸現象から分離し、これによって同時にそうした概念の客観的妥当性を確証する十分なきっかけを与えると主張することを考えるならば、 このような仕方では原因という概念は全く生じ得ず、むしろこの概念は完全にア・プリオリに悟性のうちに根拠づけられていなければならないか、それとも単なる幻影として全面的に放棄されなければならないかのいずれかであることに、気づかないのである。 というのも、この概念は、或るものAが、他のものBがそのAから、必然的かつ端的に普遍的な規則に従って$カずるというような、そうした性質のものであることを徹頭徹尾要求するからである。 確かに諸現象は、或るものが通例それに従って生起する或る規則を可能にならしめる多くの場合を提供するが、しかし決して、その結果が必然的〔notwendig〕≠ナあるという場合を提供はしない。だから、原因と結果との綜合には、経験的には全く表現され得ない威厳〔eine Dignitaet〕がある、というのも、結果は原因に付け加わるのみならず、この原因を通じて〔durch〕£阯ァされており、この原因から〔aus〕′級ハするからである。 この規則の厳密な普遍性は経験的な諸規則の固有性とは異なるものであり、経験的な諸規則は帰納によって比較的な〔komparative〕普遍性、換言すれば広範な有効性以外のものを何ら獲得し得ないのである。 ところが、人が純粋悟性概念を単に経験的な産物として論じようとするならば、純粋悟性概念の使用は全面的に変わったものとなるに違いない。
―― No.38896 の続き ---
第十四項 カテゴリーの超越論的演繹への移り行き 〔Uebergang zur Transzendentalen Deduktion der Kategorien〕
◇ 綜合的な表象〔synthetische Vorstellung〕とその対象〔Gegenstaende〕が一致し、互いに必然的に関係し合う、言わば、互いに出会い得るのは、〔以下の〕二つの場合しかあり得ない。
◇ すなわち、対象のみがその表象を可能にする場合か、表象のみがその対象を可能にする場合かのどちらかである。
◇ 前者の場合、この関係〔Beziehung〕は経験的〔empirisch〕であるに過ぎず、その表象は決してア・プリオリに可能ではない。そしてこのことは、感覚〔Empfindung〕に属するものであれば何であれ、現象〔Erscheinung〕にも当てはまる〔*1〕。
*1 "Und dies ist der Fall mit Erscheinung, in Ansehung dessen, was an ihnen zur Empfindung gehoert." → M.Weigeltの英訳を参照 " This applies to appearances with regard to whatever in them belongs to sensation."
◇ しかし後者の場合には、表象そのものは( 何故なら、意志〔Willen〕を介したその表象の原因性〔Kausalitaet〕はここでは全く問題ではないから)、己の対象をその現存在から〔dem Dasein nach 〕℃Yみ出すことはない。
◇ それ故、この表象は、これを通じてのみ或るものを一つの対象として認識する〔als einen Gegenstand zu erkennen〕≠アとが可能である場合は、〔表象は〕その対象に関してア・プリオリに規定する働きをする。
† 原佑訳上巻、p.243〜p.244参照。 原典はMeiner, p.171〜p.172 † その他、以下を参照。中山元 訳2,p.104、石川文康 訳 上巻, p.151〜p.152 † 英訳 https://www.penguinbookshop.com/book/9780140447477 †≠ナ囲まれた言葉は、カントが『純粋理性批判』文中で強調したものです。 † 翻訳はしますが、◇〜は私が便宜上用いた区分けであり文章は原文・訳文の通りではありません。 † 文中〔〕内は私による挿入、*1、*2〜や、※1、※2〜は私の覚書とします。これらは後に訂正、削除、修正等することがあります。 † ◆〜は原典における段落とします。
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]−1 No.39171 \−13 No.38896 \−10 No.38144、\−11 No.38253、\−12 No.38689 \−7 No.37244、\−8 No.37409、\−9 No.37955 \−4 No.36646、\−5 No.36657、\−6 No.36908 \−1 No.36429、\−2 No.36501、\−3 No.36600 [−4 No.36127、[−5 No.36266 [−1 No.35606、[−2 No.36085、[−3 No.36113 Z−4 No.34874、Z−5 No.34919、Z−6 No.35259 Z−1 No.33825、Z−2 No.33829、Z−3 No.34795 Y−10 No.33776 Y−7 No.33016、Y−8 No.33658、Y−9 No.33668 Y−4 No.32398、Y−5 No.32507、Y−6 No.32849 Y−1 No.31693、Y−2 No.32053、Y−3 No.32302 X−4 No.30943、X−5 No.31146、X−6 No.31639 X−1 No.30542、X−2 No.30550、X−3 No.30874 W−1 No.30139、W−2 No.30154、W−3 No.30529 V−1 No.29992、V−2 No.30063 U−1 No.29963 T−1 No.29833、T−2 No.29850
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第一部 No.29833,29850 第一篇 No.29963 第一章 No.29992,30063 第一節 No.30139,30154,30529 第二節 No.30542,30550,30874,30943,31146,31639 第三節No.31693,32053,32302,32398,32507,32849, No.33016,33658,33668,33776,33825,33829,34795, No.34874,34919,35259,35606,36085,36113,36127,36266 第二章 第一節 No.36429,36501,36600,36646,36657,36908,37244,37409,37955,38144,38253,38689,38896,39171
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