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Re[37]: 志・作意・精進
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□投稿者/ knowingitself -(2024/04/12(Fri) 19:01:47)
| pipitさん こんばんは
>>「行為を起こす動機となる想い」であれば、カントに接近するともいえますね。<
> そうですねー > 私はカントの善意志の記述をよく思い浮かべますねー > (#^.^#) > > 『「世界の内でもその外でさえも、無制限に善いとみなされうるものはひとり善意志だけであり、それ以外に考えられない」[W393]。』 > (『カント事典』p299、【善意志】の項目より引用。) > > 『世界の内でもその外でさえも、』って、考えてみたら、結構大胆に言い切ってますね。 > > カント的世界の外って、どんな感じなんですかねー(o^^o)
私の思いついた範囲でしかありませんが、世界の内というのは感性界で、世界の外は叡智界にあたるのかもしれません。人間はどちらにも跨がると。叡智界にもいるなどとおおそれたことがいえるのは、道徳律の存在が疑えなあからだといっていると。無条件の道徳律の実行は普通の人間にはまず不可能ですが、カントが超厳格な道徳律をもちだすのは、叡智界に人間が帰属することをいうためだから、道徳律、完全なる善意志の実行ができないからといって、がっかりしたり、あきらめることはないと思いますね(笑)。実際、カント哲学には楽観的な香りがします。
テーラワーダもそれとあるところまでパラレルというか、善意志の完全な実行は、宝くじの一等より難しいですね。阿羅漢が毎年、日本から何人も誕生したことは一度もありません。じゃ、外れる人はダルマに従うことを断念するかといえば、そんなことはないですね。 少しても善意志に従えば、確実に心が明るくなる、軽くなることを知っているので、ダルマが真理であることを確信できると。
カントの叡智界は涅槃にあたるとも解釈できるかと思いまふ。
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