□投稿者/ akaimi -(2024/04/03(Wed) 14:55:01)
| 2024/04/05(Fri) 17:07:04 編集(投稿者) 2024/04/03(Wed) 15:14:48 編集(投稿者)
前回に続き『ストア派』ジャン=パティスト・グリナ 著 川本 愛 訳 からです。
=== 神、あるいは理性は、素材が原初の火の状態にあるときからすでに素材に内在し、種子として、すなわち、動物と植物をつくる生物的な原理としてはたらく理性的な原理である。人間のうちにあるものとしては、それは魂として人間を指導する指導的な原理である。 ===p87より
理性=神であり、人間のうちとしては魂としてその人間を指導する原理と言っているようです。 このあたりなんとなくブラフマン=アートマンとも少し似ているのかな。 神はどうやら宇宙の外にあるものではなく、素材(のちに宇宙のさまざまなものに変化するもの)が原初の火だった時から種子として内在していた理性的な原理、と考えていたようです。
p91から「宿命と原因」という見出しで、もしもすべてが宿命に従って生じるならば、人間の責任はどのように位置づけられるのだろうか?についてのクリュシッポスの回答があります。
クリュシッポスというのは、前回で触れたクレアンテスの弟子でストア派の体系を整えた人だそうです。
宿命論と怠惰が帰結するだろうという問い、具体的には、 === 「もし病気から快復するのが君の宿命なら、医者を呼んでも呼ばなくても、君は回復するだろう。だがもし回復しないのが君の宿命なら、医者を呼んでも呼ばなくても君は回復するだろう。 しかるに君の宿命は回復するかしないかのどちらかである。 したがって、君が医者を呼ぶのは無駄である。」 ===p95より
上記引用を訂正します。 === 「もし病気から快復するのが君の宿命なら、医者を呼んでも呼ばなくても、君は回復するだろう。だがもし回復しないのが君の宿命なら、医者を呼んでも呼ばなくても君は回復しないだろう。 しかるに君の宿命は回復するかしないかのどちらかである。 したがって、君が医者を呼ぶのは無駄である。」 ===p95より (4月5日訂正)
回復するかしないかのどちらかになることは宿命づけられているなら、医者を呼ぶか呼ばないかについては無関係だと質問者は言っています。
それに対してクリュシッポスは、 === 私たちが医者のおかげで回復するということと、私たちが医者を呼ぶことは「一緒に宿命づけられている」と述べた。 ===p95より
ここからは私の考察です。
1.医者を呼んで回復した 2.医者を呼んだが回復しなかった 3.医者を呼ばなかったが回復した 4.医者を呼ばず回復もしなかった
この4通りが考えられますね。 そしてクリュシッポスの説に従うなら、どのパターンも宿命によるもの、になるのだと思います。
「病気になった」ということが医者を呼ぶか呼ばないかの原因となるもので、病気になった際に医者を呼ぶか呼ばないかはその人の判断によるけれど、どういう判断をするかも含めての宿命である、と言いたいのかな。 回復する、しないという結果だけに注目するのではなく因果関係に注目し、選択は自分でできうるということを言いたかったのだろうと思います。
|
|