□投稿者/ pipit -(2024/03/27(Wed) 19:17:05)
| 2024/03/27(Wed) 20:07:15 編集(投稿者)
悪魔ちゃん、こんばんは!
■No36943 > > >経名は「ノコギリの喩え」を意味する[2]。釈迦の教えを学ぶ者は、のこぎりによって、手足を切り落とされた時であっても、争いの世界に堕することが無いようにせよ、という教えである。』< > > この教え、手足を切り落とされた人が言ってるんだったら、すごい人だな、ってわたし思うけど。<
うん、確かに、とも思うんだけど、
pipitの感想として、言葉の影響まで考慮されての説法なのかなとも思えるんだよね。
石飛先生訳の最後らへんを引用させていただくと、m(_ _)m
『。比丘たちよ、このように学ばねばならない。 比丘たちよ、おまえたちは鋸の喩えの教えをつねに心にとどめていなさい。比丘たちよ、おまえたちは、細かなことでも大ざっぱなことでも、承認できないようなことばの使い方を見るだろうか」 「いいえ、尊師よ」 「それでは、ここで、比丘たちよ、この鋸の喩えをつねに心にとどめておきなさい。それは、長夜にわたり、おまえたちの利益と安楽をもたらすだろう」と。』
https://manikana.net/canon/kakaca.html
ことばを何か言われても、ノコギリの喩えを覚えているように、ということかなーとpipitは上の引用文を捉えてるんだけど、 出家した弟子なら、釈尊にこう説かれたことで、いろんな場面で心持ちが変わってくるかもしれないなぁと想像してるよ。
どうなのかなぁ…
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